神の島久高を再訪して(9)伊良部・宮古 宮古の遺跡

5月22日(木)

朝陽を拝みに

翌朝もキムニーの起床は早い。朝5時過ぎには起き、オーストラリア人夫妻を連れて、朝陽を見に行くという。また付き合ってしまった。車は朝陽が見える場所を探していくが、意外といい場所がない。浜へ出ても、東側が岩で遮られてしまう。最後に行ったのは白鳥崎という断崖絶壁の景色。なぜか鳥のオブジェがある。沖に座礁した船が見える。あの船はどうしたんだろうか。簡単には引き上げられないとかで、当分はあそこに静かに座っているのだろう。

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朝陽の出る時間になったが、今日は生憎の天気。残念ながら日の出を拝むことはできなかった。それでも朝から爽やかな風に吹かれたこと、絶壁の景色が見られたこと、良かった。更に美しい入り江のある浜へ行く。ここは水がきれいで良いが、入り江なのでゴミがかなり流れ着いていた。韓国語、中国語などからペットボトルなどごみがやってくる様子が分かる。

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宿に戻り、朝飯を食べる。今日は宿に頼んだ。あやさんがご飯とみそ汁、それに納豆を運んでくる。キムニーはまた自炊している。朝から肉を焼いている。これが今の勢いだな、などと思ってしまう。でもみそ汁もご飯も、このあっさりした朝食、美味しい。早起きしたからであろうか?

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またあのいい雰囲気が居間に流れる。ふと見ると後ろで床屋が始まっていた。宿泊客の一人がヘアサロンに勤めており、宿のオーナー雷太さんの髪を切っていた。彼は来週結婚式に出席する予定があり、長い髪をバッサリ切っていた。この島にはおばあの床屋しかないので、頼んだようだ。この風景、本当に絵になるな。これぞ、GH。

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居間でダラダラしていると、Hさんやって来て、神社へ行こうという。フラフラと着いて行く。小雨が降る中、サトウキビ畑を行く。お墓がいくつかあったが、いわゆる沖縄的な亀甲型ではなかった。島によって形式が異なるのだろう。佐和田ユークイに着く。小型の丘自体が神社のようだ。15世紀に伊良部にやってきた祭神。この島の歴史の古さ、他の島との交易の様子などが垣間見られる。鳥居を潜ろうとすると『そこは神様しか潜ってはいけない』と制される。

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6.宮古島

2人で宮古へ渡る

3日間はあっという間に過ぎた。ついにびらふやを離れる時が来た。離れがたい気分ではあるが、スーッと離れてしまった。もう一人大阪から来た女子大生が一緒にフェリーに乗ることになった。あやさんが車で送ってくれた。フェリーターミナルまで6㎞あるが、何だかあっという間に着いてしまった。フェリーも知らぬ間に出航。ボーっとしている間に伊良部島は遠くなった。

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フェリーは直ぐに宮古に着く。かなり激しい雨が降っていた。彼女も私も夕方の飛行機で那覇に戻るため、時間はある。宮古を散策するはずが、誤算だった。荷物はコインロッカーに入れ、待合室でネットをやって過ごした。

 

その内雨が止み、外へ出た。何だか腹が減った。午後2時だった。ターミナル近くの食堂にフラッと入る。いきなり『お勧めはそばです』と言われたので、そのまま頼む。次の人が入ってきてご飯ものを頼むと『今日はそばしかない』と言っているのが聞こえる。何となく笑えた。そばは意外とおいしかった。やはり名物はそばか。

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遺跡巡り

港付近を歩いて行くと、鳥居があり、フラッと御嶽がある。この辺が宮古だろうか。更に行くと、豊見親墓と書かれた墓群があった。15‐16世紀にこの辺りはを納めた宮古の首長の大きな墓を中心に、3つの墓があった。その形も特徴的で、墓の入り口が階段状になっており、前庭もある。墓と言われなければ分からないような形状だ。付近には同じような墓があった。宮古の歴史、興味深い。

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ドイツ皇帝記念碑というのがなぜかあった。1873年に漂流したドイツ商船を宮古の人々が助けたことを記念してドイツ皇帝が建てたという。この時期、この付近にも各国の船が往来していたことだろう。その後日本の領土に含まれていく過程も興味深い。宮古神社にも行った。かなり新しい神社だった。その付近にはきれいな石塀を持つ寺があった。市役所の横に御嶽があったのも、この島らしかった。

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港の辺りも散策した。ここから船で台湾辺りへ行けないか、と探してみたが、最終的に見つからなかった。恐らく昔は行けたのだろうが、今では飛行機代も安く、船の競争力は無くなったようだ。かなり早かったがターミナルに戻ると彼女もやることがなく戻ってきていた。一緒にタクシーに乗り、空港へ。彼女はバイトの話をしてくれた。自分の子供以外でこの世代を話すことはなくなっていた。空港は小さく時間を潰すのに苦労した。ずっとネットをやって過ごした。

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