シェムリアップで考える2011(1)バンコック 不法入国者が貴重な戦力に

《シェムリアップ散歩2011》  2011年12月16日-23日

12月16日(金)   1. 出発まで

今年の1月末に初めてカンボジアのシェムリアップに行った。アンコールワットを訪ね、その壮大さに圧倒されたが、その中身、内容に関しては残念ながらチンプンカンプン。何となく釈然としない中、ヨーガのA師より「インド哲学、などインドの観点からアンコールワットを解説するツアー」のお知らせが届き、俄然盛り上がる。

10月末にバンコックで予定されていたA師のヨーガ合宿は洪水の影響をもろに受け、開催3日前に中止となる。アンコールツアーは12月であるし、場所もカンボジアだから問題なく開催されると思っていると、不幸は続くもので、このツアーも延期となる。理由は洪水関連の影響で、参加者が減ってしまったため。

10月末も、11月初めも、バンコックの空港には水はなかった。11月中旬には市内中心部に3泊も泊まったが、やはり洪水はどこにも見られなかった。確かに銀行の前に土嚢が積まれ、警戒態勢はあったが。観光客も減ってはいたが、普通に街を闊歩し、ショッピングを楽しんでいた。「私のバンコック」には洪水はなかったのに、何故。それは運命なので、言っても仕方がないことである。

しかし飛行機のチケットは既に発券されている。どうするべきか。前回のバンコック行きは急遽ベトナムに変更した。今回は行先変更の必要はないのだから、ただ行くべし。それが定められた道なのだ。

出発前日は事務所の忘年会。わざわざ2か月前に設定されており、出席必須。しかし前回のバンコックでの大寝坊(離陸1時間半前に起床)に懲りて、今回は早く寝たかったが、忘年会を早めに切り上げても午前様。睡眠時間は極めて短く、朦朧として起きる。12月の東京は寒い。しかしバンコックの気温は20度は越えている。服装は止む無く重ね着となる。

都営浅草線の成田空港行きは、特急とは名ばかりで途中の駅でよく時間調整する。電車で寝過ごすのは癪だと思い、頑張ったが、途中で夢の中へ。気が付くと成田空港に着いていた。辛うじて降りる。

日本人だけが戻ってこないバンコック

11月中旬にバンコックで東京往復のチケットを買ったが、何とユナイテッドよりANAの方が安いという珍事が起きていた。これは明らかに洪水の影響。欧米人もアジア人もその時点でバンコック行きは安全と判断していたが、日本人だけは渡航者が激減していた。今回のバンコック行きでも、1か月前ほどではないが、やはり洪水の影響でかなり空席が目立つ。相変わらず日本人の渡航は少ない。他国の観光客はかなり戻ったと聞いたが。

日本人CAがやけに親切になった気がする。個人差なのか、乗客が少なく対応するゆとりがあるからなのか。機内食は明らかに変わった。デザートにあんみつとは、エコノミークラスでは初めて。聞けば、中距離路線のメニュー改造に取り組んだとのこと。LCCの設立で差別化の必要性が高まっている。

CAから感想を聞かれる。本当は言いたいことは山ほどあった。「朝の飲み物には暖かい物をまず用意せよ」など。が、贅沢は敵。現状に満足すべきだろう。出される物を静かに味わう。特に中国系などと比べれば、サービスの丁寧さなどは遥かに良いのだから。降りるときにカメラを座席に忘れる。しかし一度降りてしまうと機内に戻れないというルールがあるらしい。CAに事情を話し直ぐに探してもらい、無事見付かる。

イミグレは洪水の影響など全く感じられないほど混んでいたが、それほど気にならない。後ろの日本人のおじちゃんは相当イライラしており、その振動が私にも響く。昔の自分を思い出し、ちょっと恥じる。日本人だけが洪水の風評と戦っている感じがした。

空港タクシーとホテル

今回の宿は前回同様Rマンション。市内へ行く方法を知らないので、空港タクシーを利用。運転手は最初から道を遠回り。ただ私にはこの空港の複雑な道を理解することは出来ず、おまけにタイ語も出来ないので、なすがまま。途中渋滞にも嵌り、1時間掛かる。おまけにタクシー代は400bを越え、これまで最高金額に。何だか癪ではあるが、あまり怒る気になれない。

この1-2か月、洪水の影響で空港タクシーもかなり商売を減らしたことだろう。今日でもタクシーにはすぐに乗れる。客は完全に戻って来てはいない。そして電車など、新しい手段も出来、益々厳しさを増している。

Rマンションは特に変わりなく、そこに建っていた。タイ人にとっては少し肌寒い12月の気候、でも私には本当に暖かく感じられる。この宿は1か月前より確実に混んでいた。外国人観光客は戻って来ていた。

ここのファシリティーには特に不満はないが、インターネットカードを買わないといけないのが問題だ。1日100b、結構高い。部屋は古いが広さはある。流しも付いているので、調理は出来ないが、カップ麺ぐらいは食える。NHKの衛星放送も入るので、十分便利だ。

不法入国が貴重な戦力に

バーンタオ氏が車で迎えに来てくれた。夕飯を食べようと向かった先は、何とスクンビットのソイにある餃子屋さん。何でと思ったが、レストランの外見だけを見ても面白い。漢字は『山東餃子』だが、英語は『北京レストラン』。如何にも中国人のイメージする山東の餃子とあまり中国を知らない欧米人には分かり易い北京を付けたようだ。

中に入ると驚く。バンコック中心部とは思えない中国的な雰囲気。まだ時間は早いが、既に如何にも中国大陸から来た客がテーブルでビールを飲んでいる。バーンタオ氏もタイ語でビールを注文するが何となく反応が悪い。ウエートレスの会話を聞いていると何と北京語だった。更にはマネージャーらしい女性も北京語だった。

メニューには全て写真が付いている。これで分かる。ウエートレスはタイ語が苦手なのだが、誰でも注文できるようになっている。これだとタイ語が出来ない日本人でも気軽に注文できる。奥のテーブルにはどうみても大陸中国人が座っている。一人は中国の銀行の袋を持っていた。どうやら接待らしい。ここはタイなのだろうか。その後彼らは個室に移動し、何と白酒でガンガン乾杯を始める。もうこうなるとチャイナワールドだ。

ウエートレスに北京語で何人か尋ねると『ミャンマー人』との答え。そうか、彼女達の祖先は国民党、国共内戦でミャンマーに逃れた中国人だったのだ。私が北京語を使うと何となく嬉しそう。給料は1か月6000b、相当低いがそれでも職があればよいという。後で聞けばタイは不法入国してもある時期に申請すれば政府がビザを発給することがあるという。これは日本では考えられないが実は合理的なシステム。不法だが、一定期間低賃金でキチン働いた者はタイにとって必要な人材と認められるのだ。タイ人はこのような安い労働力を使い、『働かない文化』を享受しているように見える。

料理は中国大陸の味がした。コックも大陸から来たのだろう。この店のオーナーも大陸人。所謂ヤワラーの華僑と対比すれば新華僑の活動はどんどん活発になっている。この日の注文はすべて私がした。バンコックにも私が生きる余地があるように思えた。

因みにこのレストランがあるビルには中国系、韓国系の会社が数社入っている。食事の後、ビルの駐車場に停めてあるバーンタオ氏の車に向かうと、タイ人の警備のおじさんまでが『謝謝』と言っていた。バンコック在住20年のバーンタオ氏も目を丸くして驚いていた。

12月17日(土)   朝から読書会

前夜中華料理屋でバーンタオ氏と話していると、『明日、読書会に出ないか』と言われる。北京で読書会を立ち上げていた私は何となく惹かれてしまい、行くことにした。『じゃ、明日5時起きで』と言われ、え。

この読書会、海外に居住し起業している人々の集まりである和僑会の分科会。タイの和僑会は歴史的には新しいが何だかやる気が感じられる催し。それにしても土曜日の朝、午前6時半から行うというのは凄い。朝活というやつだ。

6時前にバーンタオ氏が迎えに来てくれる。今日は昼の便でシェムリアップに行くので、チェックアウトして、荷物を積み込む。まさかシェムリアップに行くのにこんなに早起きするとは想定外。

会場は和僑会幹事Oさんのオフィス。到着すると既にスーツを着たOさんが会場を準備していた。彼には土曜日もないのだろう。既に戦闘モードだ。バラバラとメンバーが6-7人集まって来て、始まる。メンバーが今月読んできた本を差し出し、感想などを述べる。そしてその本を場に出し、借りたい人が借りていくシステム。本を共有すること、知識の増加に役立てること、なかなか面白いルールだ。読んでいる本は経営系の本や自己啓発系、最近の流行を追うものなど。中には仏教など宗教や物の考え方を示す物などもあり、日々業務に格闘している人々の苦悩の一端を垣間見る。

メンバーは30-40代の起業家ばかり。自らの仕事は相当忙しいと思われるが、皆自己啓発意欲が高く、ビックリ。我々がサラリーマンだった頃は自己啓発を怠っていたな、とつくづく感じる。中には『仕事が忙しくて本が読めなかった』と恥ずかしそうに告白するメンバーもいて、実に新鮮だった。刺激し合うことは大切だ。

8時半に2時間の読書会は終了、各人思い思いに本を抱えて去っていく。私はバーンタオ氏の車で空港に送ってもらう。何となく名残惜しい。






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