軽井沢旅2020(3)軽井沢から横川へ

それからKさんが最近住み始めたという高層マンションを見学した。バブル期に建てられたと思われるこの建物、完全な山の中に突然現れるのでかなり驚く。車がなければとても生活できない場所。プールやサウナも完備しており、夏だけここに住む人もいるというが、冬はかなり寂しそうな場所だった。ただ部屋からは雄大な浅間山がくっきりと見え、その眺望は抜群だった。

帰りはワザワザ40分かけて車で送ってもらった。聞けば、軽井沢と北軽井沢は県が違うだけでなく、街のルールや物価もかなり異なるらしい。軽井沢の夜は早いが、北軽井沢は門限?はなく、北軽井沢はガソリン代が安いため、そちらへ行ったついでに給油する人も多いのだそうだ。晩はゆったりと休息する。

11月11日(水)軽井沢から横川へ

今朝も寒い軽井沢。既に昨日多くの宿泊客はチェックアウトしたと見え、今朝の食堂は空いていたので、ゆっくりと食事をとる。出掛けるまでにはかなり時間もあったので、散歩に出てみる。軽井沢駅へ行くと、旧軽井沢駅舎記念館という建物があった。明治43年に建てられた駅舎をそのまま再現して、記念館として使っている。中に入るとストーブの温もりが何とも暖かくてよい。駅の反対側に回り、2階から外を眺めてみると、何とスキー場が見えている。

旧軽井沢の大きな通りも歩いてみたが、こんな朝に人影は殆どない。もう冬支度なのだろう。駅から数分のところに大きなマンションが建設中だった。まさに億ションという感じだが、最近のコロナ禍で、東京から軽井沢に引っ越す動きはかなり出ているというから、販売は順調に違いない。ただ別荘街を歩いてみても枯葉がかなり落ちており、多くの家で退去している様子が見て取れる。億ションの住人になる人は冬を越すのだろうか。

10時前にKさんがやってきて、一緒に六本辻にあるカフェに行った。ここは一昨日の晩に会った後輩のTさんが店長をしており、ちょっと寄ってみた。このカフェはある企業が運営している、今流行りのワーケーション施設に併設されており、何ともおしゃれな造りで、環境もよく、驚いてしまった。お客さんも海外駐在中にコロナで帰国した人や小さな子供を連れた若夫婦など、実に多彩で面白い。Tさん夫妻はお客さんが頻繁に来るので、大忙し。コーヒーを一杯飲んで、あまり話さずに退散した。

Kさんの車で早めのランチを食べに行く。中華料理屋があったので入って見ると、何ともチャーハンが美味しかった。だがそのボリュームは巨大で、午後中ずっと胃がもたれるほどだった。これで今回の軽井沢滞在が終了したのだが、ただ帰るのもつまらないので、軽井沢駅からバスに乗り、横川へ出てみることにした。

バス停に着いたが、乗客は私ともう一人しかいない。しかもこの状態は横川に着くまでずっと変わらなかったので、これまた驚いてしまった。バスはすぐに山道を登り始める。もう少し早い時期なら紅葉がきれいだったろうなと思われる景色だ。途中所々、道路わきを見るとトンネルがあった。これが昔の鉄道路線跡だと分かる。

今碓氷峠を越えている。江戸時代には旧中山道の難所として知られていた峠越えだが、1893年に碓氷線が開業、当初は生糸の運搬が主目的だったらしいが、その後の大別荘地軽井沢の繁栄に貢献したことだろう。だが1997年に廃線となったという。その遺構が各所に残り、鉄道ファンは廃線ウオークなどをしているという。

約50分のバスの旅を終えると、横川駅に到着した。ここから電車に乗るのだが、まだ時間があったので、少しその辺を歩いてみた。どん詰まりの駅なので、車両が数台停まっている。その横をすり抜けると、ちょっとした散歩道がある。碓氷峠の関所の門が見えた。中山道の重要拠点だったのだろう。

駅まで戻ると、峠の釜めしの看板が見えた。そうか、ここは元々横川の釜めしで有名な地だったが、電車が峠を越えなくなり、あまり聞かなくなった(軽井沢駅で売っていたように思う)。折角なので老舗で釜めしを食べてみたいと思ったが、何しろ先ほど食べたチャーハンがずっしりと重く、残念ながら断念した。

小さな駅舎を通り抜けると、鉄道ファンと思われる人が数人、写真を撮りながら発車を待っていた。とても強い日差しがあり、眠気を誘う。『鬼滅の刃』とコラボしているのか、目の前にはアニメがはためいていた。列車が高崎に向かって動き出すと、如何にもこの旅が終わったと強く感じられた。

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