ボルネオ探検記2019(5)サンダカンの日本人墓地

2月18日(月)
サンダカンの日本人墓地

翌朝はゆっくりと起き上がる。コタキナバルからサバティーの旅は少し強行軍だったと反省。ホテルの朝食を食べ、それからゆっくりと歩き出す。まずは昨日閉まっていた中国系寺院へ。ここは一目で広東系と分かる。地元の華人参拝客も広東語を話しているから、サンダカン華人は広東系が主流だ。

 

続いて、やはり閉まっていたセント・ミカエル教会へ。中に入るにはチケットの購入が必要。売店の人が鍵を開けてくれ、そのままガイドとなる。1888年に建てられた教会で『今年は131年目です』とその人は何度も強調していた。教会内はシンプルで厳かな感じ。ステンドグラスなどはそのままだが、屋根だけは連合軍の空爆で吹き飛んで修繕している。『それは昔の出来事で今の日本人には関係ないよ』と慰めの言葉をもらう。

 

そこから坂を登っていくと、中国廟があり、更に行くと100年前の階段が残っていた。そこを曲がり、フラフラ行くと大きな道がある。更にそれを渡ると道の両脇に木々が茂り、いい雰囲気になる。アグネス・キーズの家はそんなところにあった。家は改修されてきれいになっており、室内が博物館のようになっている。実はここに来た理由は、サバ州博物館の入場券で、ここも無料で入れると言われたからだ。他の国でも1つのチケットで複数の場所に入れることはあるが、これだけ離れた場所で使えることは珍しい。ここもサバ州博物館管轄だからだろうか。

 

その横にイングリッシュティーガーデンがあり、ここでお茶を飲むために一生懸命に歩いてきた。だが今日の昼は貸し切りだと断られ、お茶にありつけなかった。仕方なくそのまま歩き続ける。サンダカンに来た目的、それはずばり日本人墓地に行くことだった。高校生の頃に見て衝撃を受けた『サンダカン八番娼館』という映画を少しずつ思い出していく。この映画の田中絹代、忘れられない。ただどうしてももう一度見る勇気はない。

 

 

勿論原作本も読んだ。作者の山崎朋子さんが昨年亡くなったという記事を読み、それで記憶が蘇り、やはりここへ来なければ、と思った。ここまで来るのに40年もかかってしまった。なぜかずっと心のどこかで『来てはいけない場所』という思いがあったのだろう。それほどの衝撃を与えられた作品は今までほとんどない。

 

一人も歩いていない道を行くと、中国人墓地に出会う。その上には1945年日本軍に殺された華人の記念碑も建っていた。やはりここにもあったか。墓地は広大で、山の斜面に沢山ある。南方式で、沖縄にもありそうな形だ。広東、客家、福建など各地から来ていたようだ。どんな思いでここに埋葬されたのだろうか。

 

その先をずっと歩いて行くと、日本人墓地と書かれている。坂を上がると、こじんまりした墓地が見えてくる。日本語で墓碑が書かれており、名前でなく戒名が書かれているのは、やはりからゆきさんのものだろう。からゆきさん以外にも商人や船員など、この地で亡くなった方が葬られている。

 

遠くに海が見える山の斜面、何とも言えない気分になる。半袖半ズボンでやってきた私、猛烈にやぶ蚊に刺される。痒くて仕方がないが、それが何かを語られているような気になり、蚊を叩くことすらなく、ただただ海を見ながらじっと耐えていた。そんなことをしても、からゆきさんの供養にすらならないことは分かっているが、そうせざるを得ない心持ちになる。かなり長い時間そこに突っ立っていた。頭が真っ白になっている。何も考えられない。

 

ようやく動く気になり、墓地を降りる。中国墓地を通り過ぎ、さっきの道の入り口にある階段を降りて行く。最初はきつかったが、途中は滑らかな坂だった。下に着き、そのまま海まで突き抜けた。あまりにも明るい日差しにたじろぐ。思い出してカメラ屋に行き、カードリーダーを買う。この店も華人がやっている。78MRは高いが、買わなければどうにもならない。デジカメの時代の終わりを感じる。

 

昼飯は混みあっている華人の店に入る。主人は広東系、中国語で注文を取り、意麺のようなものが出てきた。イメージとは違ったが、優しい味で満足した。私が日本人だと分かると驚いていた。いったん部屋に帰り、洗濯物を持ってコインランドリーへ向かう。だが、ここは50センコインしか使えない。そんなコインを10個も持っていない、どうやってコインを確保するのか。色々探したが、結局洗剤を売る自販機に札を入れると両替できた。洗濯出来てすっきり。乾燥まで入れて10MR。

 

夕方、先ほど追い出されたイングリッシュティーガーデンを再訪し、庭で景色を楽しみながら、お茶を飲みスコーンを食べる。これはなかなかいい雰囲気だ。料金も高くはない。日が落ち始めたので、そこを辞し、海岸沿いに向かい、写真を撮る。からゆきさんもこのきれいな夕陽を見ただろうか。サンダカンは時間が止まったような、本当に静かな街だった。夕飯またあの食堂に入り、炒飯と鶏肉を食べる。食事すら、変化を拒んでいるように見える。

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