香港ショートステイ2018(3)新界の村祭り

私は一体何のお祭りに紛れ込んでしまったのだろうか。表示を眺めるとどうやら駱という家の祖祠の修繕記念のようだ。村の人が沢山出てきて、その祠の周囲に集まっている。突然爆竹が鳴り、村の中を練り歩いていた獅子?いや龍が祠にやってきて、華麗に舞う。今や舞う人も稀で、かなり練習したんだろうなと思う。恐らくは普段は相当静かなこの村が、何だかとても賑やかだ。

 

皆が去った後、新しい祠に入れてもらった。きれいに修繕されたその中には、族譜なども展示されている。相当古い家なのだろう。香港に来て何代になるのだろうか。客家系だろうか。この新界、元朗地区には古い集落が多くあり、我々が思っている香港とは全く違う世界がある。

 

かなり寒い日だったが、村人と近隣の村の代表などが、広場のテーブルに着いている。我々もそのテーブルの一つに案内されて席に着く。Yさんのお知り合いの香港人が、このような村々の調査をしており、村から招待を受けたらしい。主賓と主催者がテーブルに着く頃、テーブルの上には盆菜と呼ばれる鍋?が置かれ、火がつけられ始める。温かくてよい。

 

盆菜は元々客家料理だと言われている。結婚式などの祝い事があると、大勢の人に料理を振る舞う宴会料理だった。シイタケ、花膠、魚のすり身団子、鶏肉、車えび、豚ロースト、などが上の層に、その下にイカ、豆腐、髪菜、乾燥牡蠣、大根なども入れられ、中国料理の食材が1つの鍋でぐつぐつ煮られていく。ちょっと味付けは濃いが、味がしみておいしい。そして何より暖まる。昔は自前で作っていたようだが、今は盆菜専門店が大型コンテナでケータリングするらしい。香港では今、盆菜が人気だというのだ。

 

まだ明るい時間だが、来賓あいさつもそこそこに村のカラオケ大会になる。お年寄りがマイクを取る。おばあちゃんが演歌を歌い、わざわざ客家語で歌っている人もいた。その合間にラッキードローも行われている。完全な村祭りだ。そして盆菜を食べ終わると、皆ドンドン席を立ち、帰って行ってしまう。

 

我々も村の中を少し見学してから帰路に就いた。ちょうど村はずれにミニバスの停留所があり、そこから乗る。ミニバスだから席が少なく、危うく乗りそこなうところだった。この村にも黒人が住んでいるらしく、乗り合わせる。そういえば先ほどの祭りには村出身と結婚したヨーロッパ人も来ていた。意外や国際的な香港の田舎。

 

帰りは来た経路を戻る。Yさんも私の宿の近くに住んでいるので、何も考えずについていく。佐敦の近くまで来ると、『実は空港に行くバスはネーザンロードを通ると時間がかかるが、それ以外にもある』と教えてもらう。こういう情報はやはり地元ならでは。特に明日は時間が無いので有り難い。

 

2月5日(月)
楽しく話して

翌朝は狭い部屋で何とか荷物を整理してチェックアウト。鍵はフロントに置いて出るだけだ。今朝は大学の後輩Kさんと再会するため、荷物を引き摺って佐敦駅に向かう。今日も結構冷えている。確か昨日MRTで『霜に注意』などという表示もあったな。どう考えても10度以下だ。

 

駅で落ち合って、近くの茶餐庁に入る。だが大きな荷物は席まで持ち込めず、入り口付近に置かざるを得ないので、誰かが持っていかないか、ちょっと気になる。サテ牛肉即席麺を食べる。なぜか香港の茶餐庁で食べるインスタント麺は旨い。更には朝食セットとして、パンと卵まで付いてくる。

 

Kさんとは昨年久しぶりに再会し、何気ない話から、共通の関心事が多いことを発見し、話し足りなかったことから、また会うことにしたのだ。彼には無理を言って、私が空港に向かう時間まで付き合ってもらった。相変わらず、言語学、民族学などの観点から中国を中心としたアジアの話題で話は尽きない。あっという間に2時間以上が経過してしまう。

 

名残惜しかったが、バス停に向かう。幸い昨晩Yさんに早いルートを教わっていたこと、そのバスがすぐに来たことから、これまたあっという間に空港まで連れていかれてしまった。こんなことならもう少し話していればよかった、と思ったが、もう遅い。空港でいつものお菓子を買い、ゆっくりと飛行機に乗る。

 

フライトは順調、機内で映画を見ていると時間が過ぎる。香港は台湾よりちょっと遠いのだが、その1時間はかなりの距離を感じる長さだった。羽田に降りて、電車で帰ると、まだ家の周りには雪が残っていた。道理で寒い訳だ。

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