バンコック ヨーガの旅2016(5)操体法で腰痛が治った!

夕飯の後、トラータカが始まった。これは蝋燭の火をじっと見つめ、眼から涙を流す、クリアー(浄化)の一つなのだが、こればかりは何度やっても涙が出たことがない。近頃は歳のせいか涙腺が緩み、お涙頂戴ドラマでも偶に涙を流すこともあるというのに、火を見てもピクリとも反応しない。隣の人など、30秒で溢れるほどに涙を流しているのに、私は薄情者なのか、などと思ってみても何もならない。

 

その後20年前にNHKで放映された『ブッダ大いなる旅路』という番組を見る。これは全5回シリーズで今日はインド編。仏教発祥の地でありながら、既に仏教が滅んでしまった国、インド。見終わった後の参加者の感想を聞いても、『インドはあまりピンとこない』という。私もインドには大いに興味はあるが、インド仏教の地を回って歩くことにはあまり興味が沸かない。

 

1129日(火)
3日目

早くも寝坊。というより、意識的に起きる時間を遅くして、瞑想の最後の方から参加。前回はこういう人もたまにいたのだが、今回のメンバーは遅刻者もなく、まじめ。私は慣れないことをすると疲れがたまるので、今の内から無理をせず、セーブしていく。朝ご飯にトーストを頂く。何だかここでパンを食べていることが嬉しい。インスタントコーヒーを淹れると、はるか昔、学生時代にでも戻った感じがする。

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ここには勿論洗濯機などない。洗濯物は自分の手で洗う。洗剤と桶が用意されているので、それを使ってシンプルに洗う。まあパンツとTシャツだけだから、それほど苦でもない。このような作業をしている時も、何かを考えている自分がいる。普段なら、面倒だなと思うだけだが、この環境が何かに作用するのだろうか。天気は良いので、干しておくとすぐに乾いてくれる。

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洗濯しながら、実は腰痛になりかけていることに気が付く。何となく腰が重い。確かに、普段全くアーサナすらやらない私が、13時間の実習をすれば、どこかしらに異変が出てもおかしくない。それを予防するため、無理なポーズはしていないつもりだったが、それでも腰には負担だったようだ。

 

腰痛気味であることをA夫人に伝えると、移動図書館の中から1冊の本が渡された。『サトウサンペイの「操体法」入門』と書かれており、表紙は可愛らしい漫画。サトウサンペイと言えば、サラリーマン漫画では知っているが、この本のイラストを描いているのだろうか。操体法とは、整体を基本として『痛い方向・つっぱる方向から、痛くない方向・つっぱりを感じない方向にゆっくり動かし、最後にすっと力を抜くと歪みが解消されるという方法』だそうだ。

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とにかく中を見て、その通りやってみることに。腰痛について触れられているところを簡単に読み、その漫画のポーズを三回やってみた。驚いたことに痛みは嘘のように無くなってしまった。そしてその後、この合宿中、一度も腰痛を感じたことはなかった。嘘のような本当の話である。A師がなぜこの本を持っているのかは知らないが、良い物は取り入れるということだろうか。

 

いつも感じることだが、ヨーガと言えばアーサナ、アーサナと言えばポーズが大事と思いがちだが、基本的にアーサナは如何に体の力を抜くかであり、それは簡単に見えて実に難しい。例えば死体のポーズとも言われるシャバーサナ。単に床に大の字になっているだけのように見えるが、これが一番難しいと参加者も言う。力を抜くと言っても人間どこかに力が入ってしまうもの。力を抜いてそのポーズが維持できれば良いとは分るのだが、出来ない!力が抜ければ、それだけでもスッキリすることがよくわかる。

 

この合宿ではアーサナの他、呼吸法に重点が置かれている。カパラバーティというクリアーを経て、プラーナーヤーマへと進む。少なくともここまでを1つのセットとしてやらないと意味はない。単にアーサナのポーズだけをいくらやっても、それでは繋がって行かないことが分かる。アーサナはプラーナヤーマの準備と考えればよいかと思う。

 

日本人は例えばアーユルヴェーダといえば、心地よいオイルマッサージをイメージしがちだが、そのマッサージはパンチャ・カルマの補助療法に過ぎない。私も3年前、パンチャ・カルマを受けた時、最初の3日間、トリートメントとして頭のマッサージやスチームバスを体験した。老廃物、汚れを一気に流すために、まずはオイルで緩め、溜める作業を行ったに過ぎない。一か所に汚れを溜めても、それを流さないのならどうなるのだろうか。その部分だけ取り出してはいけないと思うのだが、商業的には時間のない現代人に気持ちよさだけを売るのが精一杯か。

 

夜またトラータカに失敗。もう緊張で涙など出ないのだろうか。NHK2回目、ミャンマー編。来世を信じるおじいさんの姿、前回見た時に私は来世があるかもしれないと思うようになったが、それから数年で、更にその思いは強まっていた。では現在自分はどうするべきなのか。徳を積む、のか。

 

この番組は20年前に作られている。現在のミャンマー、急速な経済発展の最中にあり、人々の考え方、行動にも変化が出てきていると言わざるを得ない。老人や田舎ではまだ保守的な考えが残っているとはいえ、ヤンゴンなどの都会では、お寺に行く回数も減り、まずは金儲けという風潮が強い。これと来世はどうリンクしてくるのだろうか。金を儲けた人が寺に多額を寄進する例を何度も見ているが、寺が世俗にこの金を回せば、それは一つのお寺経済ではある。

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