バンコック ヨーガの旅2016(6)歯の詰め物がとれて集中力を欠く

1130日(水)
4日目

今日は朝のアーサナを途中で切り上げ、クリアーの1つ、ボーマンダウティが行われる。まずはネティポットを使って、鼻から水を入れて、鼻から出す。これは浄化にとても良いということだが、鼻が詰まっていたので、本日はパスした。その姿だけ見ると、とても奇異に見えるかもしれないが、ヨーガの世界は普通に行われている。

 

ボーマンダウティは2リットルぐらいの塩水を飲んで、吐き出す。これも浄化の1つの手法であり、いわゆる反射である。動物は何か不適合なものが腹に入れば、すぐに吐き出すことができるが、人間は反射力が弱くなり、なかなか吐けない。胃を洗浄するような感じで行うのだが、なぜか私はこれがうまくできる。1リットルも飲めば、マーライオンのようにきれいに噴射する。

 

ただ今日は、体調のせいか、ちょっと手こずり、酔っぱらった時のように口の中に指を突っ込んでようやく吐き出した。これは日本の奥ゆかしい女性には、特に人前ではなかなか厳しい作業であり、うまくいかない人もいる。だがこれを平然とできるようにならないと、ヨーガの習得には向かえない。ヨーガは単なるポーズだけではない。ボーマンを行った日の朝ご飯は凄く軽い。フルーツとスープぐらいがちょうどよい。

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講義では夏目漱石が出てきた。ヨーガと夏目漱石、関係なさそうに見えるが、漱石はインド哲学、サーンキヤ派哲学に深く感銘して、あの『智に働けば角が立つ 情に棹させば流される』で有名な草枕を書いたという。この部分、確かに分かったような、分からないような、それでいて妙に心に残る一節だ。この節とインド哲学の関係、急にはリンクしないのだが、心に留めておこう。『意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい』のだから。

 

唯物論や観念論など、哲学の話が続くと、やはり基礎がないので、理解は進まない。ヨーガとはインドではどう生きるかだ、と言われる方がまだ理解できる感じがする。『ベーダンダー』とか、『ウパニシャッド』とか、何度も聞いていながらきちんと理解できていな言葉がシャワーのように降ってくると、もうヨーガの根本テーマである、四苦八苦の状態だ。

 

午後はタイ人のカヴィー先生がやってきて、特別講義が行われた。タイ人は仏教をどのように考えているのか、どう生きていくべきなのか、といった示唆に富んだ内容が分かりやすく話された。最終的にはやはり物資的な満足ではなく、心の満足だ。死に際して、物を欲しがる人はいないのだ。来世を信じるか、という質問には半信半疑で手を挙げた。

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仏教の主題は『Mind Development』だという。単に信じるだけではなく、祈るだけでなく、自らの心を向上させる必要がある。これは大乗仏教とは異なる、上座部的な考え方だな、と思った。いや、禅などはここに通じているのか。単にヨーガのことを学ぶだけではなく、深く仏教や哲学を理解して行かないと、本質を見誤るようだ。A師は『日本人のDNAには、日本的仏教が刻み込まれている。それはヨーガを理解するのにアドバンテージである』というが、当人にその自覚がないのは問題だ。

 

その日の夜、NHK3回、ガンダーラ編を見た。インドで始まった仏教がどのようにして中国や日本へ伝わり、変化したのか。そのカギを握るのはガンダーラだった。ガンダーラと言えば、ゴダイゴの歌しか知らない、との声もあったが、そこに統治の形として仏教が必要とされ、それが中国に輸入された訳だから、今に我々に直結した話だろう。

 

その夜だろうか。それまでも蚊に刺されて痒いと感じ、虫よけスプレーを使ったり、きんかんを塗ったりしたが、どうも蚊ではないような痒みと噛まれた跡がいくつも出てきた。夜中に痒い、というのは一番耐え難いことで、この日はあまり眠れず、翌朝もギリギリまで床にいたが、睡眠不足でアーサナが意識朦朧となる。

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121日(木)
5日目

いつものように朝ご飯を食べていたが、何となく美味しく感じられない。寝不足のせいだと決めてつけてみたが、しっくりこない。講義中、ふと口の中を確認すると、何と歯の詰め物が取れており、ぽっかりと穴が開いていた。さて、どうしよう、これは困った。特に痛い訳でもなく、我慢はできるのだが、どこかで治さないといけない。

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バンコック在住の参加者に聞いてみると、市内には歯医者は沢山あり、日本人向けもある。だが1回でこれが治せるとも思えないし、予約で満員かもしれないので、バンコックでの治療は諦め、東京で予約を取ってもらう。これから約10日間、歯を気にしながら生活しなければならないのは辛い。

 

ある程度、意識が歯に集中してしまうのは、非常に弊害が多かった。講義の内容が虚ろになり、実習への集中力が低下した。これまで思いっきり食べてきた食事の量も減っていき、体は更に楽になったが、頭はちょっと重くなった。こんなことを日々感じていくだけでも、普段とは違い生活が送れる。自らを常に感じながら生きていく。

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