カンボジア・タイ 国境の旅2016(9)バッタンバン街歩き

雨はスコールで、すぐに止んだ。涼しくなった街を歩き出す。少し行くと古いマーケットの建物が見えてきた。昼下がりで人もいない。怠惰な雰囲気が流れている。市場の外で野菜を売っている若い子は、夢中で勉強していたようだが、疲れ果ててウトウトしている。インド系の女性がワッフル?を焼いていたので、少し買ってみる。この付近も華人が多く、なぜか葬儀用品を扱う店が並んでいた。一度ホテルに帰り、朝が早かったので昼寝した。実に気持ちよかった。

夕方再び、外へ出る。簡易な地図に教会が書かれていたので、橋を渡って行ってみる。教会は街と川を挟んだ対岸にあり、少し距離を置いている印象がある。カソリック教会と書かれた門を入ると、かなり広い敷地。しかし所謂教会のシンボルである礼拝堂が見るからない。奥まで歩いていくと平屋の礼拝堂があった。これは珍しい。その横には写真が飾られていたが、見ると1975年ポルポト軍によって破壊された元の礼拝堂が写っていた。その後再建されることなく今日を迎えているのだろう。近くではクメール舞踊の練習をしている若い女性たちがいた。平和とは何か、をちょっとだけ考えた。

だんだん暗くなる中、本日の夕飯を探した。いくつかの店があり、鍋におかずが並べられている店で、指さしでおかずを選び、ご飯をもらい食べた。彼らも片言の英語は出来たが、意思はあまり通じない。でも飯は誰でも食うので問題はない。筍と豚肉、そして卵を煮込んだカンボジアによくあるおかずは、やはり甘かった。ご飯はどんどん進んでいき、かなり太ったという自覚がある。

730日(土)
博物館は休館

翌朝は早く目覚める。タサエン村の生活が続いている感じだ。朝食はホテルで取る。華人向けのお粥を取り、オレンジジュースを飲み、目玉焼きを焼いてもらい、自分でパンを焼く。妙な組み合わせだが私が食べたかったのはこれだった。食べたい物を食べたいときに食べる。これも気ままな一人旅のいいところだ。

 

そしてまた歩き出す。今日は天気がすごく良い。折角傘を用意してきたのに。目指すは博物館。ここに行けばバッタンバンの歴史が分るだろうと思ったのだが、昨日のマーケットを越えてさらに暑い中、川沿いを歩いていき、歩き疲れた頃に辿り着いたそこは休館だった。土日は休館とのことで、私には見学の機会は訪れず、バッタンバンについても何も変わらないままだった。でもまあいいや。土日は企業も休みのようで、街中の倉庫や会社も閉まっているところが多かった。

ふらふら歩いていると小さい街だ。昨日の雨宿りのおばさんとまた目が合ってしまい、引き込まれるように中へ。今日は土曜日で学校が終わったのか、もうほとんど料理は残っていなかったが、『まあ座れ』という感じで注文も聞かず、有り合わせのものを全部載せて出してきた。たくましい商魂だが、嫌な感じがまるでない。『美味しいだろう』と食べている私を覗き込む。確かに美味しいのだから仕方がない。昨日より1000r安かったのは、やはり残り物だったからだろうか。それでも満足してしまう。

廃線を歩く

一旦ホテルで休息し、夕方また外へ出る。特にやることもなくフラフラしていると、何だか線路が目に入った。あれ、バッタンバンには電車が走っていたのか。だがその線路の上を人が歩いていく。まあ本数が少ないのだろうと思い、その後ろからついていくと、線路に座って遊ぶ子供、何かをしている親子など、不思議な風景が目に留まる。そしてついに線路の上に物が置かれ、有る所では断絶していることが分かる。この路線は既に廃線だったのだ。

行きがかり上最後まで見届けに行くと、確かにある所で見えなくなっていた。あとで見てみると、バッタンバンからプノンペンまでは鉄道を復旧しようという作業が行われているらしいがどうなんだろうか。ADBが支援しているとも聞くが、それは必要なのだろうか。今なら道路を整備してバスを走らせた方がよほど早いように思う。中国はどう出ているのだろうか。

 

バンブートレインという観光用のトレインが走っているらしく、トゥクトゥクドライバーに声を掛けられたのを思い出した。その先はこの状況だったという訳だ。タイまで電車を通す、という話も出ているのかもしれないが、この線路を復活させるのは容易ではないだろう。夕日に照らされた廃線を行く、鉄道ファンならぜひ見たい、歩いて見たいということかな。

 

暗くなった頃、街中に戻り、昨日の隣の店で夕飯を取る。へちまと豚肉炒め、小魚の揚げ物を頼む。ここの若い女性は英語がうまく、初めて3ドル、と米ドルで請求された。これまでカンボジアには何度か来たが、いつも米ドルを持っていれば用が足りていた。今回は場所が違うせいか、リエルで請求されることばかりだったので、何となく新鮮に感じる。横で若者たちがビールを飲み、騒いでいる。今日はやはり休みの日なのだな。

731日(日)

翌朝は早く起きて、朝食を済ませた。Tさんの計らいで、7時半に車が迎えに来てくれ、パイリンという国境まで連れて行ってくれることになったのだ。だがどんな人が来るのかもわからない。時間通り来るかもわからない。まあ取り敢えず荷物を持ってロビーに行き、ソファーに座っていたら、すぐに人がやってきて車に荷物を積み込み始めた。一目で日本人と分かってもらえるのは嬉しい。

その車は私専用だったが、途中で農家からコメを積み込んだ。そして国境近くの村へ寄り道して、そこで降ろしていた。更に途中朝ご飯を食べていない運転手はご飯を食べ始めた。私は濃いコーヒーを飲み、そして優しいお茶をチェイサーにした。大型バスが停まり、乗客がトイレに行く。約2時間でパイリンの街へ着き、米を届けてから国境へ進む。そこは閑散とした辺境、ただカジノホテルが2つほど、異様な感じで建っていた。

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