カンボジア・タイ 国境の旅2016(8)バッタンバンへ

 日が暮れてきた。今晩はお客の人数も増えたので、外で焼肉パーティーだ。タイではムーカタと呼ぶ、傾斜のある鍋で肉と野菜を焼き、そのエキスを下で受け止め、スープのようにして飲む。大変庶民的で人気のある食べ方だ。確かラオスでも食べていたので、タイのイーサン料理だろうか。お手伝いさんや元お手伝いさん?などスタッフ総出で焼いてくれる。村の人がバイクでやってきて宴会に加わる。

皆がキャッサバ焼酎を飲み始める。何とも賑やかな食事となる。真っ暗な中、庭の小屋で食べるのは何とも言えない野性味がある。そして安全に見えるこの村でさえも、夜は警備の人が来ており、何と銃が柱にぶら下げられている。このような光景を見ると、『武装することと防衛すること』の意味を考えざるを得ない。人には二面性がある。いくら良い人でも、困ったときは強硬手段に出ることもある。その時、自衛手段を持たなければ、悲劇が訪れ、その人は罪人になり、自衛されていれば、強硬手段を思い止まることもあるだろう。一概には言えないが、性善説だけでは生きていけない現実がそこにある。これは我が国についても言えることではないだろうか。

 

夜、私は特等席のベランダに蚊帳を吊ってもらい、そこに寝る。何ともひんやりしていて気持ちがよい。男子高校生は、守衛のおじさんと共に、庭でハンモックを吊り、そこへ寝ることに。これでは蚊の餌食だろうと思っていたが、何とこのハンモック、内側から閉めることができ、蚊の侵入は防ぐことができた。さすが元自衛隊員のTさん、装備は万全ということだろう。これなら次回は一晩、このハンモックにお世話になりたいと思う。翌日聞いてみると、身動きは取れず、少し寝にくいらしい。

729日(金)

翌朝は周囲が明るくなると目覚める。そのままベッドから朝日が昇るのをボーっと眺めている。何とも幸せな気分になる。すぐに朝ご飯になり、寝ていた高校生もたたき起こされる。この村の朝は早い。肉団子のスープが美味い。これはタイでゲンチューと言っているスープだ。やはり、この付近はタイの影響を色濃く受けている。いや、タイとかカンボジアとかではなく、昔は一つの地域だったということだろう。

そしてついに別れの時が来た。今日この村を離れてバッタンバンへ行くことになっていた。シェムリアップへ行くことも考えたが、距離も遠いので、今回は行ったことのない街を訪ねてみることにし、ついでにそこから国境を越え、タイに戻り、知らない街を旅していくことも考えていた。これまで茶旅に時間を割いてきて、このような全く無目的、ノースケジュールの旅をする機会が減っていたので、良い時間が訪れそうだった。

 

移動手段はバスもあるようだったが、村の乗り合いタクシーを手配してもらう。村人は朝が早く、7時過ぎには車が迎えに来てしまい、名残を惜しむ間もなく、出発した。またいつかここに戻ってこようと、心の中で誓った。私は助手席に乗り、他の村人3人を後ろに乗せ、車は国道をひた走った。道はそれほど悪くなく、快適だった。道路脇に所々家があったが、概ね畑が広がっていた。

 

途中ガソリンスタンドでトイレ休憩したが、2時間後にはバッタンバンの街に入り、乗客は街中で次々に降りて行った。私はTさんがアレンジてくれたホテルに向かう。とても立派な大きな建物の前に車が停まり、乗車代10ドルを支払う。フロントで聞くと予約はないとのことだったが、Tさんの助手に連絡して、何とか宿泊できた。120ドルと格安料金だった。これもTさんのお陰。感謝。

 

3. バッタンバン
街歩き

部屋もとても立派なので、3日ぶりのお湯シャワーを浴びて寛ぐ。この街に関する知識は何もなく、何するという目的もないので、取り敢えずフロントで地図をもらい、街歩きに出た。すぐ近くに大きな川が流れており、その周辺には華人を中心にした商売人が店を構えている。これを見ても、ここが昔、川を中心とした交易で栄えていたことが想像できる。ここからプノンペン方面へ抜けられ、タイへもすぐに行ける、物資の集積地だったであろう。

お寺も多い。そこに漢字表記があり、華人がお参りしているのが分る。路面にテーブルが出ており、食事ができる場所があった(実はここは学校の裏手だったことが後でわかる)。フェンスの向こうから『なんか食べていきなよ』と声が掛かり、思わず座る。すると『すぐに雨が降るから』というではないか。その言葉通り、すぐに雨が激しく降り、路上から内側のテーブルに移動し、傘を持たない私は濡れずに済んだ。この店の女性は英語が話せて、外国人客も呼び込んでいるのだろう。ただお母さんの顔を見ても華人にしか見えない。この辺の商売上手はやはり華人の伝統だろう。クメール人はもっとのんびりしているはずだ。

 

甘く煮付けた豚肉が美味い。きゅうりの漬物、そして豚足の小皿まで登場し、ご飯をかき込んだ。何ともいい味を出しており、この街では飯には困りそうもないと分かって安心した。これに水代を加えて5000r130円)は、この付近の相場として妥当かどうかはわからないが、とても満足した。

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