ナムサン茶旅2016(13)九死に一生を得る

1時間ぐらい走ったところで、朝も通った例の橋を越えた。そこには兵士に詰め所があったので、運転手はそこで停まる。兵士が出てきて、運ちゃんは何かを彼らに見せている。免許証か何かだろうか。暗いので懐中電灯をかざして、お互いのぞき込んでいる。すると突然運ちゃんが車から降りた。何をするのだろうかと思ったその時、車が僅かに動いたような気がした。あれ、と思っていると、今度はかなりの勢いがついたように車がバックを始めてしまう。

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何が起こったのか全く分からなかった。ミニバスは下り坂を転がり始めていた。どうするんだ、と頭が動いても何も行動はできなかった。えー、体が強張った。そこでドスンという音が響き、車の動きが止まった。まるで何事もなかったかのように。その間わずか数秒だっただろう。その音に慌てて兵士が銃をもって飛び出してきた。我々二人も助手席から飛び降りた。車の後ろへ回ると、何かにぶつかっていた。兵士がライトを照らすと、そこは橋の欄干の一番端だった。兵士は更にその横を照らしてニヤッとした。草むらがボーっと見えた。

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僅かあと50㎝バックする位置がズレていたら、このミニバスは橋の下へ落ちていただろう、とそのライトは語っていた。午前中にこの橋を通った時の事を思い出すと、橋から川までは数メートル、車が転げ落ちたら、とそこまで考えて、初めて血みどろになった自分が想像できた。同時にアクション映画では、危機一髪脱出する場面が想像できるが、現実はそうはならないことも痛感する。

 

ところが運ちゃんたちは、バスの後ろの凹みを気にしていた。橋の欄干にぶつかったのだから、それなりに凹むだろう。それでも命拾いしたという思いはないのだろうか。いや、恐らく彼もこの事態にどうしてよいか分らなかったのではないだろうか。結局Tさんが彼に一言、ミャンマー語で何か言ったが、その後は誰も一言も口を利かなかった。各人が色々なことを頭に巡らしていたに違いない。私はなぜかボーっとなってしまい、何も考えられなくなっていた。

 

この運ちゃんは実は車から降りたときにサイドブレーキを引いていなかった。停まっていた位置がほんのわずかに下っていることに気が付かなかったようだ。それがこのミスを生んでいた。彼がなぜ車を降りたのかは謎のままだった。兵士の指示でなかったことだけは確かだから、自分の意志で降りたのである。

 

黙って暗い夜道を揺られていて、徐々に実感が沸いてくる。それは『助かった』という感覚よりも、『天からもう少し生きていてもいいよ』と言われた気分だった。人間、一寸先は闇、などというが、その時が来ても、殆ど実感はなく、事故は瞬時にやってくる、頭で危険だとわかっていても、何もすることができない、ということを思い知ることになった。結局我々は何ものかによって生かされている、ということで、自ら生きているというのは間違いだと気付く。その感覚だと、この夜道の運ちゃんによる危険な運転にも怖さがなくなっている。

 

1時間半ほど車は走り、ティボーまで戻ってきた。夜9時を過ぎており、ホテルに戻る前に食事をしようということで、ミニバスを降りた。運ちゃんとは何も言わずに別れた。その時は文句を言うことは思いつかなかった。ただただ生きている、という感覚だけで、誰が悪いとか、そのような感じはなかった。だがTさんは私以上にショックを受けており、食事ものどを通らない感じだった。この旅に誘ったのは自分だ、という自責の念があったかもしれない。自分の車が故障しなければ、という思いもあったのだろうか。私の方は彼を責める気など毛ほどもなく、むしろ2人とも生きていてよかった、という微かな喜びだけがあったのだが。

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ホテルの部屋に戻り、熱いシャワーを浴びると一気に体が脱力した。どこかがものすごく緊張したままだったのだろう。それまではやはり冷静ではなかったのかもしれない。何となく自分の感覚が飛んでいたようだ。それでも疲れていたのだろうか、目をつぶるとすぐに眠れた。5年間のアジア放浪生活の1つの成果かもしれない。これからは余生だ!という気分。

 

1月29日(金)

車を失った我々は翌朝、ラショーに向かうことにした。ホテルのフロントに聞くと、比較的近くにバスが来るというが、一応乗り物で移動した。7:15発のバスがあるということだったが、ここが始発ではなく、チャウメイから来るらしい。だがチケットは売り切れ、そして席があるかどうかは、来てみないとわからない、と言われてしまう。ヨーロッパン人の男性が我々の後ろからやってきたが、彼はちゃんと予約していたようで、彼の席はあった。

 

ちょっと待っていると、日本製のバスがやってきた。皆が下りたので、席は問題ないと思ったが、降りたのは休憩、いや朝食のためで、空いている席はなかった。何とか乗り込むと補助席があり、そこに座り込む。かなりガタが来た椅子で座りにくかったが仕方がない。この道は半年前にも、列車が土砂崩れでラショーに行けず、戻ってきて車で通った道だったが、正直前回が暗かったこともあり、全く覚えていなかった。ティボーはやはり鬼門だった。

 

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