チェンマイ滞在記2023その2(3)3 バーンサッカーからパヤオのミアン

集落では、ルア族(自称はティン族?)の女性がミアンを小分けにしていた。ここでは今でも多くの家でミアン作りが行われているらしい。一台の車が止まり、若いタイ人女性がミアンを買っている。聞けばおばあちゃんへのお土産らしい。自分では酸っぱいから食べない、と舌を出す。

景色の良いカフェで昼ご飯を頂く。生葉のサラダが出て来る。食べやすい。主食は街でも食べられる普通の麺。山岳民族の食べ物が出て来るかと期待したが、今はどこでもそうなのだろう。下を見ると茶葉を買い付けに来た車が走っている。この道路の意味はこの村の歴史においてかなり大きい。

かなり下ったところに、車が沢山停まっている。中を見ると多くの若者で溢れている。そしてこのカフェから見る景色はまさに絶景。インスタ映えを求めてタイ人の若者が集まっている。ドリンクの料金もこの村としては高い設定だろう。観光にもかなり力を入れている。

運転手がアレンジしてくれた若者が待っていた。彼はホテルを運営しており、その中にはカフェもあった。そこで話を聞いたのだが、ミアンは700年ほど前、ルア族が既に作っていたという。その証拠として、寺の壁に描かれた絵にミアンを運ぶルア族が登場しているというのだが、果たしてこれはどうだろうか。これまで一度も山岳民族のミアンに出くわしておらず、ちょっと戸惑う。

ここではミアンよりは若者向けに生葉サラダとコーヒーを販売。健康茶として紅茶とファーン(シダの一種)をブレンドした茶も提供していた。コーヒーは数年前より自作を試みているが、当初は失敗も続き、かなり苦労しているらしい。それでも茶よりはコーヒー、というのが今の流れだろう。更にはコーヒーより(農業より)観光業かな、とも感じる。

もう一度山道を登り、標高1400mまでやってきた。ここにも10数年前に植えた茶樹があった。道路脇から林の中へ茶畑は続いている。かなりいい雰囲気の茶畑だが、どのような茶が作り出されるのだろうか。坂はかなり急であり、ちょっと下るだけでも足を滑らせそうだった。

夕方ブア郡に戻る。まだ陽があるうちに今日の宿に入った。郊外の新しくできたゲストハウス。運転手の家のすぐ近くで便利だからだろう。部屋の窓から田んぼが見える。今晩はお粥屋へ行く。お粥屋といってもまあ居酒屋だ。粥を食べながら好きなおかずを注文する。酒も飲めるが我々は昨晩のこともあり自重した。いや一人だけ自分で酒を持ち込んで輪を乱すアル中はいたが。ここの料理で面白かったのは、大きな火鍋に茶碗蒸しが入っていたこと。これは日本料理なのか。帰りがけにセブンに寄る。

10月17日(火)パヤオで

今日もまた爽やかに起き上がった。周囲は田んぼ、庭には花が咲いている。何とも言えない田舎な環境が素晴らしい。少し散歩してみたが、特に何もない。朝飯は麺を食べる。何とも普通な朝が良い。ここからパヤオ県バーンシーナパに移動する。元はバーンバーミアン(ミアンの森の村)という名前で如何にもミアンの産地だったが、現在では生葉はバーンサッカーから買ってくるらしい。ここもタイ人の村だった。

ミアンはその酸っぱさが重要であり、今回の東北3県ではほぼ塩を入れて酸っぱさを出していたが、ここでは別の葉っぱを混ぜて酸っぱさを出している。この村は10年ほど前、ロイヤルプロジェクトに指定され、茶業が一時盛り上がったが、今は下火となっていた。建設された茶工場は、今や企業の下請けとなっている。茶苗を扱う店も出来たらしいが、行ってみたら今年で廃業するという。

そこからバーンタムへ向かう。近所まで来たところでランチにまた麺を食べた。今回は汁なし麺にしてみる。少しは変化が必要だ。その先の市場へ寄ってみると、小分けのミアンが端の方に売られていた。もうこの辺でもミアンを口にする人は殆どいないのだろうか。そして村でミアンを作っている家を探す。ここは標高450mだが、既に村というより街に近く、集落という印象はない。ミアンを作っている家はもう2‐3軒しかない。

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