バンコク滞在記2022その7(3)タイ料理の歴史を知りたい

先月はベートンからマレーシア、そしてナラティワート、更にトラン、スラッタニーを旅してみたが、さっき万歩計を見てみると、何と1か月で240㎞も歩いていた。毎日8㎞歩いた計算になるが、さすがにそれはないような気がする。まあとにかくこれまでの最高記録だろう。めでたい。

今朝はバーミーでも食べようと近所に出掛けるも、残念ながら朝はやっていなかった。仕方なくその先のカオソイ屋に行くと、テーブルの上に猫が寝ころんでいた。首にメガホンのような物を付けられており、どこか痛めて動かせないのだろう。可哀そうではあるが、何ともユーモラスな姿だった。

11月2日(水)ヤワラー

本来は今日あたり、ロップリーに行っているはずだったが、先日の駅での切符騒動で萎えてしまい、バンコクで過ごしている。今朝もバスでヤワラーに向かった。意外と空いていて、早めに到着。ジョークにありつく。実は昨晩このお粥に入れるパートンコウとは何かを考えており、写真を撮りたいと思っていた。

パートンコウは中国では油条だろうが、なぜタイではこう呼ぶのだろう。お知り合いから『白糖糕』の潮州語訛りではないかと言われ、ハッとする。やはりタイの食べ物を理解するにはどうしても潮州語や福建語が必要のようだ。今日も屋外で美味しくジョークを食べる。

何となく散歩していると、お寺が見えた。会慶寺、1956年創建とある。立派な山門を潜ると、敷地は狭いが中にはさすがヤワラーと思わせる立派な仏像が安置されており、思わず拝む。後で聞いたら、この山門の下に、有名な焼売売りの老人がいるらしい。ただ昼からの営業で出会うことはなかった。次回を期す。

ふらふらしていると、関帝古廟に辿り着く。中は信者の華人で満ちており、入るのが躊躇われた。更に行くと2年半前に歩いた大本頭廟に行き着き、華人学校も健在だった。こうして時間をつぶしていたのは、本屋が9時に開くのを待っていたからだ。本屋に入ると2階で『何を探しているのか』と華語で聞かれたので、『タイの料理の歴史』と言ってみると、おじさんとおばさんが二人で色々と探してくれたが、残念ながらなかった。

宿に戻ってランチにバーミーを食べた。これも潮州語の肉麺から来ているらしいが、本日食べた麵はいつもの黄色い麵とはちょっと違っていて、緑色の平麺だった。こちらは潮州ではなく、福建系らしいと言われ、なるほど奥が深いと感嘆する。これまで食べ物を食べても、そこまで深く観察したことがなかった。いや、考えたこともなかった。

何だか世界が少し広がった気分となり、夕方近所の歩いたことがない場所を散策する。ここは市場の近くなので、食堂はいくつもあったが、これまで入ったことはなかった。思い切って入ると、そこは鴨肉の店。朝は点心も出しているようだ。肉の上から濃厚なタレを沢山かけるので、インスタ映えはしないが、味は確かだった。

11月3日(木)サラディーで

今朝もコムヤーンを食べて幸せ。それからバスでシーロムへ向かう。シーロム界隈、今回殆ど歩いていなかったので、BTSサラディーンからチョンノンシーまで歩いてみる。道には人が多いが、何となく以前の熱気は感じられない。チョンノンシー近く、昔行った遼寧餃子館などは健在だったが、味はどうだろうか。この付近は相変わらず華語が飛び交っており、大陸中国人の投資が多そうだ。

今日の昼は野菜ソムリエAさんに会うため、懐かしのサラディーに向かった。このお店は私がバンコクで開いた最初のお茶会の会場だった。もう10年も昔のことだ。コロナ前後、Aさんはお店を閉めて、今は弟子がデリバリー専門でやっているが、Aさんの教室、食事会などでも使われている。

本日の目的は、タイ料理の歴史を知ることだった。Aさんに聞けば、何らかのヒントが得られるだろうと思い、出掛けた。ちょうどこの日はAさんが生徒さんと一緒にランチするというので飛び入り参加した。初めての方ばかりかと思っていたら、昔お茶会に参加してくれた人たちもおり、また私が日本で旅した場所の出身者もいた。

お料理は個性的で、ピザやパスタとタイ料理を組み合わせるなど、色々と面白いものが多かったが、1つずつの料理についてはよくわからなかった。肝心の料理の歴史については、『かなり難しい』という感触であり、やはりタイ語が出来ないと前には進みそうもない。華人の料理だけでも何とかならないだろうかと思うのだが、儘ならない。

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