ある日の埔里日記2018その3(2)媽祖祭り、そしてM氏現る

4月28日(土)
媽祖祭り

台湾緑茶の歴史、その締め切りが段々と迫ってくる。これまで誰もやっていない歴史、何となくは分かって来たものの、それでよいのかという自問自答が続く。図書館で集中して書いている時は、いいペースで行けるのだが、宿泊先に戻ると、また色々と考えてしまう。天候もそれほど良くなく、シャワーが降ったりして、洗濯物も乾きが悪い。

 

今日は土曜日、ボーっとそんなことを考えていると、外から大きな音が聞こえてくる。覗いてみると、お祭りの行列のような一団が向こうから練り歩いて来るではないか。何だあれは。そうか、今日は埔里で媽祖祭りが行われると、街頭にポスターが貼ってあったことを思い出す。

 

媽祖の祭りと言えば、数年前、馬祖島に渡った時に偶然出くわしたことがある。人口の少ないあの島では全島挙げての一大イベントであり、台湾における媽祖信仰の厚さを感じさせてくれた。それ以降も福建省に向かう飛行機に乗る時、偶に媽祖様と出会うこともあった。大陸に里帰りする媽祖様が荷物検査機を通っていく様は、何ともユーモラスだった。

 

埔里の媽祖祭りはどんなものだろうか。興味が出てきたので、歩いて集合場所付近まで行ってみた。大きなテントが張られ、媽祖様が鎮座している。大きな人形があり、山車に載せられた小型のものもあり、1つ1つが意味するものは不明だが、既に多くの人が集まってきている。

 

各団体の練り歩きが終わり、山車が置かれ、皆が休息していた。何となく、日本の祭りの風景を思い出す。よく見ると、ある場所に列が出来ている。何と山車の下を、老若男女が潜っているのだ。これが何を意味するのかは分からないが、一つの信仰の形であろうか。その後再び、街中を練り歩き、最後は天后廟に向かうのだろうが、小雨も降ってきたので、退散した。

 

M氏来訪
本日から台湾茶の専門家、M氏が日本からやってくることになっていた。今日は埔里に泊まるというので、ここで合流することにしていたが、なかなかやってこない。聞けば、豊原あたりで留め置かれているようだ。この人の茶旅の仕方に興味があり、今回は4日間ほど、同行することにしていた。

 

午後魚池の彼の知り合いの茶農家に行くことになっていたが、いつ来るのか分らず、埔里まで迎えに来てくれた茶農家の王さんも少しイライラしている。ようやくやって来たM氏夫妻はまず予約した宿にチェックインし、それからおもむろに車に乗り込み、王さんの家に向かった。

 

以前私も一度この家を訪れ、美味しいガチョウ料理をご馳走になった記憶がある。M氏は早々に試飲をはじめ、当然のように私が通訳に回る。紅玉で作った紅茶の他、最近流行りの白茶も出てきた。白茶の値段が思いのほか高いのでビックリ。やはり紅茶の需要はそれほど伸びていないので、作っているのだろうか。茶畑をちょっと眺めて、王さんに送ってもらい、埔里に帰る。

 

夜は葉さんと会う予定だったが、製茶の関係で彼はなかなか山から戻ってこなかった。M夫妻は一度チェックインした宿を出て、我が宿泊先の横のホテルに移動していたので、ゆっくり待つことにした。ただ既に夜8時、埔里ではこの時間になると、食事ができる場所が限られてくる。

 

M夫妻は茶葉買付の時は食へのこだわりはないとのことで、すぐ近く、私も入ったことのないステーキ屋に行ってみることにした。サラダとスープは取り放題で、ステーキはまあ夜市の屋台並、というところか。それからホテル前の椅子に座り、ずっと待っていると10時前になってようやく葉さんが帰ってきて、試飲が始まった。さすがに疲れた。そして明日の朝5時に起きて、武界に行くことになる。初日から激しい茶旅だ。

 

4月29日(日)
武界へ

翌朝は4時半には起きて、5時にM氏と共に葉さんの車で武界に出発した。私は昨年も一度行っているが、その後の変化も見てみたいので同行した。標高1400m程度だが、埔里からは比較的近く、1時間半はかからない。山を登っている間に夜が明け、周囲が明るくなると、景色がよい。今日は快晴だ。

 

葉さんが預かっている茶工場をちょっと覗くと、何か問題が発生しているようだった。昨晩も遅かったから、まだ始末が付いていないのかもしれない。すぐに我々は別の場所に移動した。そこは何とキャンプ場、茶畑が見え、簡易な大型テントがいくつか並んでいる。朝から車が動いており、テントから出てきてチェックアウト?する人がいる。

 

ここのオーナーが管理小屋におり、お茶を淹れてくれた。彼は元々茶農家だが、昨今のキャンプブームに目を付けて、これを始めたらしい。お客さんに泊ってもらい、自然を満喫してもらう。ついでにお茶も買ってもらうという作戦。聞けば料金は1200元、週末は満員の盛況だそうだ。

 

茶工場の方に戻ると、見たことがある人がいた。高雄の長信茶業の黄さんだ。彼はここの茶葉を使って高山茶を作って、販売している人だ。以前M氏の紹介で高雄の店を訪ねたが、娘は日本語ができると言って、すぐにいなくなってしまったのを思い出す。M氏もまさかここで会うとは思っていなかっただろう。結局葉さんは忙しいので高雄に戻る黄さんの車に便乗して、埔里に戻った。

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