ある日の埔里日記2018その2(15)台北経由で福州へ

4月14日(土)
台北経由で福州へ

今日は福州へ行くことになっていた。安いフライトを探したら、何と松山から出る夜便だったので、ちょっと気になっていたところへ寄り道してから飛行機に乗ることにした。いつものようにバスに乗り台北へ向かう。土曜日でもほぼ時間通りに台北駅へ着いてしまうから有り難い。荷物をコインロッカーに入れて準備万端。

 

ちょうど知り合いのTさんから、Kさんという日本人女性を紹介されていたので、連絡を入れると、中山駅付近にいるとのことで、歩いて地下道を通り、向かう。お茶好きだというKさんを誘って、そのまま中山から大稲埕方面へ歩き出す。途中で手頃な喫茶店でもあれば入ろうと思ったが、残念ながらなかったので、重慶北路を越えて、228事件にも出てくる天馬茶房の隣、延平北路の交差点にある森高砂珈琲に入る。

 

ここは前から気になっていたので寄った訳だが、台湾産コーヒーの種類がかなりある。今台湾は珈琲店が増えている。店員は簡単な日本語を話し、席に案内してくれた。コーヒーは国姓産を選ぶ。料金は一般的な台湾感覚からするとちょっと高いが、淹れ方も面白い。いれたての珈琲を試験管のようなものに入れて、アイスにして飲んだりする。お店は土曜の午後ということか超満員で台湾のコーヒーブームを感じる。

 

それから目的の茶荘を探して歩く。迪化街も観光客と台湾人で人通りが多い。調べておいた住所を探していくと、かなり北の方にその店はあった。王福記、ここは1930年代に斗六で創業されたお店、そして創業者は布揉法を台湾に広めたと言われている王泰友氏だ。これまでこういうお店が残っていると気が付かなかったのだ。

 

何故知ったかと言えば、先日訪ねた梅山で、王泰友の名前が出て、王福記が存在することを教えられたからだ。ただその店は意外なほどきれいで新しくちょっとイメージとは違っている。数年前に建て替えたばかりだという。店に入り、店の歴史について聞こうとしたが、現在の店主である3代目は『資料はないよ』と最初は素っ気なかった。

 

そこへそのお母さん(2代目の奥さん)が助け舟を出してくれた。わかる範囲でこのお店や義父である王泰友について語ってくれる。何と王泰友は僅か10年数年ほど前、100歳でこの世を去っていたので、晩年の印象はかなり残っている。資料はないが、その息子であるご自分のご主人(2代目)の書いた文章なども見せてくれた。

 

今日は出掛けているとのことで、後日2代目に会うために出直すことにした。尚店の片隅にお婆さんが座っていたが、まさかまさかの王泰友の奥様だった。100歳でご健在、毎日店に来ているらしい。これもお茶の力だろうか。一気に歴史が近づいてきた感じがする。

 

因みに私がなーるほどザ台湾の2月号にお茶の特集記事を書いたが、そこに広告を出していたのが、この店だと分かり、一気に打ち解けた。この雑誌は残念ながら4月号で休刊となってしまったが、頼まれ物を書いておいてよかったと思う。最後は店の人々とも打ち解け、突然茶旅に同行したKさんもこの展開にはびっくり。

 

それから2人で大稲埕のお茶関係の場所を歩いてみた。李春生、陳天来など日本統治時代の茶業関係者ゆかりの建物や徳記など外資系の茶業者が残したビルもある。港の横、この狭い路地には往時の歴史がかなり詰まっているが、今やそれを知るべき表示などはない。更に範囲を広げて、日本時代の病院や鉄道駅の跡へも行ってみるが、やはり痕跡は殆ど見られない。

 

最後は台北駅まで歩いていき、現在修復作業が行われている鉄道部関連の建物を見て、Kさんと別れた。私はそのまま荷物をロッカーから出して、松山空港に向かった。夜の空港にはあまり乗客はおらず、ちょっと寂しい雰囲気だった。何度も行って慣れている福州だが、ちょっと不安になるほどだ。フライトはほぼ定刻に離陸し、一路福州に向かった。

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