ある日の埔里日記2018その2(2)猫空と大稲埕

3月22日(木)
猫空へ

翌日も又文湖線に乗り、萬芳社区という駅で降りる。今日は先日も行った猫空に再度チャレンジするつもりだ。前回は車で連れて行ってもらったが、今回は単独で行く。基本的に猫空へ行く観光客は、ロープウエーに乗っていくのだが、高所恐怖症の私はそれを避け、ミニバスで向かうこととしたため、この駅で猫空行きのバスを探した。

 

幸いバスはすぐに来て、何とか乗り込む。結局ここから木柵の街を通過して上りに入り、ロープウエーの駅まで行くことになる。だが私の目的地は別にあり、ロープウエーを過ぎても降りなかった。ただそれは私が方向を誤っていたことにほどなく気づき、仕方なくバスを降りた。

 

その立派な廟の辺りから駅まで少し歩き、旅行センターで地図をもらい地理を確かめ、先ほどバスで通り過ぎた道を戻る羽目になる。やはり事前の調査は必要だが、私の旅は行き当たりばったり。仕方がない。10分以上下ると、ようやくお目当ての張迺妙茶師紀念館があった。道の下には僅かな茶園が見える。

 

紀念館に踏み込むと、女性が迎えてくれた。『鉄観音茶の歴史を知りたい』と告げると、それなら2階に上がり、ご主人から説明を受けるようにと言われ、200元を徴収された。更に写真撮影は禁止、と念を押される。ご主人は、張迺妙の孫(4男の息子)で、その父が作ったこの紀念館を夫婦で運営しているという。

 

2階には若干の展示物があるが、多くはご主人が語るその内容による。張迺妙の兄弟の話、品評会入賞茶のことなど、これまで勝手に読み込んできたことが違っていたらしいことが分かり、なるほどと思う。そして現在台湾内で、鉄観音が木柵以外にも広がった様子を教えてくれた。有り難い。1階に戻り、お茶を淹れてくれたので、鉄観音茶についても色々と教えてもらう。

 

紀念館の横には、確か3-4年前に訪ねたことがあるお茶屋さんがあった。実はここが張迺妙の長男の店であり、今は孫がその伝統的な鉄観音を作っていると聞いた。確かにあの時もそんな話が出たのかもしれないが、知識がないというのは致命的だ。どんな重要な話をされてもまるで刺さらない。次回はここを訪ね、現代の伝統製法を学んでみたい。

 

天気がとても良い。気持ちがよいし、バスもいつ来るかわからないので、ハイキング気分で下り坂を歩き始めた。途中に樟山寺と書かれた分かれ道がある。何となく気分でそちらの方へ歩く。この寺は新しいようだったが、クリアースカイの中、台北市内がきれいに見えた。

 

その横を見ると、下りの階段が見え、政治大学まで800mと書かれていた。僅か800mなら歩いて降りようと思い、そこへ踏み込む。だが階段をおりるのは意外と大変だ。そして数百メートル行くともう政治大学の敷地内に入る。何度か木柵の街に入ってその正門を見た政治大学だが、その裏側、裏山までも全て大学の土地だったとは何とも驚きだ。

 

更に下ると体育館や運動場などがあったが、その敷地は想像以上に広かった。800mの下りどころではなかった。この大学はいわゆる国民党の党学校だったのだから、その程度の資産があっても当たり前だ、と後で人に教えられたが、かなり驚いたことは事実であり、足が痛くなったこともまた事実だった。

 

国立政治大学は1954年、この地に出来たが、その前身は1927年に南京に設立された中国国民党中央党務学校だというからすごい。党幹部、エリート養成校だったわけで、その伝統は恐らく台湾に来ても引き継がれたであろう。私はこれまで政治大学出身者に出会ったことは一度もないが、それは住む世界が違うということだろうか。何故政治大学という名前なのかも、考えたことすらなかった。

 

一度宿に戻り牛肉麺を食べて休んでから、夕方大稲埕に出向いた。まずは有記銘茶に行き、先日話しを聞いて書いた雑誌を手渡した。5代目王さんは『ちょうど今、焙煎が終わったところ。いい匂いでしょう』と言って、奥の焙煎室を見てくれた。確かに微かな残り香が何とも言えない。

 

それから昨日訪ねたレベッカの紹介で、大稲埕の入り口のすぐ脇にある王錦珍を訪ねてみた。こちらは店も新しくきれいになっているが、その表示には1952年となっていることから、光復後に開業したことは分かる。こちらも福建省安渓から来た人だったが、元々茶商売ではなく、いわゆる出稼ぎできて、茶業をやるようになったらしい。この店の場所は1964年からだというから、先祖は相当に努力し、また才覚もあったのだろう。

 

その後大稲埕散歩を試みるも、昔の茶荘の跡などは殆どなく、特定も難しい。錦記や徳記のように今もビルとして残っていれば、まだわかりやすいのだが、殆どは兵どもが夢のあと。大稲埕の繁栄が終わると潮が引くように消えてなくなったらしい。それもまた良いということだろうか。

 

夜は知り合いのTさん、Sさんの3人で、懐かしの梅子に行った。Tさんは台湾で30年近く前から知っており、その頃は多くの日本人出張者、駐在者がこの店を利用していた、という昔話に花を咲かせた。そして何よりもここで食べる担仔麺、デザートして出てくる餅、懐かしくて涙が出る。30年前、50回以上は来ただろうか。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です