ある日の埔里日記2018その1(2)苗栗頭份の旅

1月22日(月)
苗栗頭份へ行く

ようやく腰痛も癒え、今日は苗栗頭份へ行くことになった。いつものようにトミーの車で行くため、台中高鐵駅へ向かう。今日は更に2人の同行者があり、賑やかに進む。頭份までは1時間ぐらいで到着。やはり苗栗は近い。実は私は苗栗に来るのは初めてだった。勿論電車やバスで何度も通ってはいたが、寄る用事がなかったということだ。

 

頭份市内に入ると、デパートが見え、こぎれいな街並みが続き、思っていたよりもずっと都会だった。そんな中にある製茶機械メーカーを訪ねた。ここは光復後の創業で、これまで台湾茶業に必要とされた製茶機械を数々生産し、違った角度から台湾茶業史が見られるというのでやってきたわけだ。

 

張さんは3代目で、トミー達と仲が良く、私も会ったことがあった。お父さんは製茶機械の生き証人のような人で、昔の図面を広げて説明してくれるが、私の方が製茶にそこまで詳しくないので、そのポイントが掴めず、残念な気分になる。光復後、紅茶、包種茶、烏龍茶、煎茶など、様々な茶が作られたわけだが、ここで話を聞くと、その殆どに関わっており、まさにザ歴史と言う感じだった。

 

当然茶農家の多くが顧客だから、様々な茶葉も手に入るので、茶荘も併設している。最近は機械の大型化、自動化などが進み、こちらのメーカーでは対応できないものも増えているらしい。『昔は日本企業とも色々取引したよ』というが、今も日本の茶農家が烏龍茶などを作る場合は、こちらで作られた商品の中古を買ったりしているらしい。

 

お昼は近くのレストランへ行く。まさかフレンチ?と思ったほどおしゃれな店で客家料理を頂く。元はフレンチレストランだったのだろうか。苗栗も客家の多く住む場所だから、それ自体は不思議ではないが、こういう雰囲気で食べると自ずと味も違って感じられるのが面白い。張さんが客家かどうかは聞くのを忘れた。

 

帰りに街を歩いていると、ブランドショップなどもあり、ちょっとビックリ。更には大型ショッピングモールがあり、その向かいには広大な駐車場、そして大型バスが停まっていた。『この中に子供向け遊戯施設があり、週末は家族連れで大いに賑わう。特に雨の人は凄い』と聞き、台湾でも知らないことがまだまだたくさんあると知る。

 

午後は張さんが案内してくれ、歴史調査の一環で茶農家へ向かう。そこは製茶機械があるものの、農家というより茶商さんだった。特に光復後、この付近で包種茶が作られ、その後煎茶に移行した歴史を学ぶ。店主劉さんのお父さんなども、煎茶輸出に絡み、会社を立ち上げた一人だったが、その輸出は長くは続かなかったらしい。今はこのあたりも東方美人一色、売れるものを売っていくのは商売人だから当然だ。

 

それから製茶公会の陳理事長のところも訪ねた。ここは思ったより相当の田舎にあり、公会の仕事で台北に行くことも多い理事長職は大変なのではないかと思った。彼のお父さんは茶業伝習所の卒業生であり、昔からここで茶作りをしていたらしい。苗栗は輸出茶が中心だったから、往時は大いに栄えたようだが、今は雑多にお茶を作り、東方美人で何とかやっていると言う感じだ。

 

日本統治時代の苗栗緑茶の話を聞いていると、「それは頭份ではなく、南部の三義あたりの話だろう」という。三叉河という地名に聞き覚えがあったが、それは三井の紅茶製造工場の場所ではなかったのか。この工場がどこにあるのか不思議に思っていたが、今回の旅で苗栗三義だと判明した。次回は南部へ行かなければならない。

 

台中に戻る頃には辺りは暗くなっていた。トミーが『台中で夕飯を食べよう』という。着いた場所は最近開発されたおしゃれなエリア。そこに春水堂の店があった。ここは1980年代、バブルティーを開発した店として有名であったが、私はあまり興味がなく、一度も来たことはなかった。確か最近日本への進出も果たしたはずだ。

 

店内は非常にきれいで驚く。そしてお客が順番を待っている。お茶を飲むところではなく、食事をする場所、ちょっとこぎれいなファミレスを思い出す。若者が楽しそうにバブルティーを飲み、麺を啜っている。私も麺を食べてみたが、値段の割にはどうだろうか。新感覚の茶館かと思い込んでいたので、全くの勘違いに苦笑するしかなかった。

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