ある日の埔里日記2017その6(6)恵蓀農場へ行く

12月11日(月)
恵蓀農場へ

イベントから一夜明けた。今日は北大の方々に付き合って、北大演習林の所在地、眉原にある恵蓀農場へ行くことになっていた。アレンジは北大出身のSさんだ。まずは朝9時半にイベントの実質主催者である茆さんの家を訪ねて、お礼を述べた。茆さんはイベントの成功を大変喜んでおり、毎年継続してやろう、と力強く言っていた。

 

そしてクリスマスが近いからというので、ドイツで食べられるシュトーレンというお菓子を出してくれた。こんなものまで作るようになったのかと、驚いて聞いてみると、何と東京から持ち帰ったというのだ。しかも友人のパティシエが帝国ホテルに勤めているおり、彼からもらったというから、本当に驚きだった。茆さんは我々より遥かに日本を知っている。

 

茆さんの家を失礼して駐車場に向かった。18度Cの店舗の横では、たい焼きが売られており、美味しそうだった。バームクーヘンもいち早く作っている。日本の良いものはどんどん取り入れて、紹介しているは凄い。ジェラートやチョコもイタリアからその技術を入れている。

 

それから車で日月潭に向かった。いい天気だったが観光はなしで魚池の茶業改良場に行く。ここは日本時代に建てられたが、その初代から3代までの日本人所長は、全て北大出身者だというので、北大ゆかりの地として訪問した。ここには1938年建造の茶工場が現役で残っているほか、その後ろには新井耕吉郎の記念館がある。

 

第3代、最後の所長である新井耕吉郎は近年台湾でとみに有名になっているが、初代の谷村愛之助、2代の古市誠も北大を出てここにやって来た。なぜ茶畑の無い北海道の大学の人々が台湾へ来て、茶の研究をしたのか。実に興味深いテーマだが、それに答えてくれる研究はされていないらしい。

 

昼は埔里に戻り、埔里名物と言われる米粉を食べた。名物と言いながら、食べられる食堂が殆どない不思議。埔里酒廠の向かいにある食堂で何とかスープ麺にあり着いた。まあ特にどうということもないが、一応名物なので観光客が押し寄せ、席もない。何とか注文したが、私の麺には肉丸が入っていないというお粗末ぶり。その後軽く酒廠を見学し、そこで下山操子さんと合流。

 

埔里郊外にあるSさんの家にも寄る。ここでは少量ながらコーヒーの栽培が行われ、ちょうど豆が太陽の下で干されていた。元々Sさんが演習林に興味を持ったのも、演習林でコーヒーが植えられたという歴史を知ったからであり、そのコーヒーを今は自分が作っていることを見せたかったのだろう。

 

そこからは下山さんが先導して、恵蓀農場へ向かう。1時間弱走って門まで到着すると、入場料を払わなければならないが、下山さんが地元に貢献しているということで無料となる。すごい。この農場、相当な山の中にあり、その門から事務所の建物までは4㎞以上の登りとなっていた。とても歩いては行けない場所だ。昔はバスすら走っていなかったというから、北大の人々は当時、ここに来るまでが大変だっただろう。広大な敷地に大自然、素晴らしい環境だ。

 

事務所に行き事情を話すと、突然だったにもかかわらず、場長が直接応対してくれた。やはり北大の名前はここではよく知られている訳だ。事務所の中の設備を拝見し、林の中を歩いていき、そして100年前に建てられたという木造の建物に案内してくれた。今は改修工事を行い、宿泊できる施設となっていた。中は昔の日本の家だった。横の建物はもう少し新しいらしいが、それでも趣はあった。

 

それにしても素晴らしい自然が残っていた。恐らくは日本時代からこうだったのだろう。今は台中の中興大学が管理しており、恵蓀という名前は中興大学の先生の名前からとったということだった。屋外で美味しいコーヒーをご馳走になる。ここでは茶樹も少しはあるが、今はコーヒーが主であるらしい。この近くには台湾の原生種と言われる茶樹もあるので、ちょっと残念。

 

最後に下山さんの弟の誠さんの家へ行き、そして操子さんの家にも行き、日本時代の歴史、霧社事件などについて、写真を見ながら詳しく話しを聞いた。台湾の日本時代、日本は良いこともしたかもしれないが、地元の人にとって決して宜しくないこともしていたと思う。演習林なども原住民の人々の土地を奪うことになっていたかもしれない。

 

夕飯は下山さんが近くの客家料理の店に連れて行ってくれた。この付近には客家が多いという。原住民も霧社事件後に強制移住された人々をはじめ、多くが住んでいる。更にはもう少し埔里に近い所には、日本時代前後に沖縄から移住した人の子孫が今も住んでいるというのにはびっくり。山深い不便な場所には土地があり、移住者が開拓したということか。客家料理は非常に美味しい。そして北大の方々はIさんの車で台中駅へ向かい、今夜は台北に泊まるというので別れた。私は下山さんの車で埔里まで送ってもらう。

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