ある日の埔里日記2017(21)台北にて

2月8日(水)
台北で

取り敢えず埔里としばしのお別れとなる。部屋に荷物を残しているのですぐに帰ってくるつもりだが、ちょっと寂しい。バスターミナルまでの道のりも、2つもの大きな荷物を持っているのに、なぜか早く感じられる。9時10分発の国光号に乗り、一路台北へ向かう。バスは順調に走行し、12時過ぎには台北駅に着いてしまった。

 

駅から歩いて定宿へ向かう。10分で到着して、チェックイン。腹が減ったので外へ出てランチ。すぐ近くの串カツ屋に入り、ランチのカツどんを注文する。何故明日日本へ行くのに、かつ丼を食べているのか、自分でもわからない。でも今食べたいと思った物を食べているだけだから、それでよい。

 

食後の散歩、いつも歩いている道ではあるが、久しぶりに南京東路を渡ってみた。林森公園、かつてはなかった公園が今はある。昔この公園のある一帯には、バラック小屋が多数立ち並び、香港から出張に来て、CDなどを売る店に良く立ち寄ったのが、懐かしい。もう20年以上前の話だ。

 

この公園、日本時代は墓地だったらしい。三板橋墓地。第3代総督、乃木希典の母親が葬られたとある。その後共同墓地化され、第7代総督、明石元二郎は在任中福岡で没したが、その遺骨は故人の遺志により台湾に持ち帰られ、ここに埋葬されたらしい。その時の鳥居が紆余曲折の末、今ここに建っている。明石と言えば、日露戦争時の諜報活動、特にロシア革命への支援などで有名な人物だが、台湾総督が最後の任務となった。

 

林森公園から中山北路の方へ小道を歩いて行く。こんなところにと思うほど、意外にも古い家が残されている。民家として使われているものもあれば、改装してカフェなどを開いているところもある。場所的には便利であるし、ホテルオークラの裏と言えば、何となく人が集まるのだろうか。

 

その後、先日台中で会った蔡さんに誘われて、葉さんという女性のもとへ行く。彼女は雲南省の山中などに自ら行き、磁力の強い、本物の茶葉を集めているという。お茶を飲むというより、薬としての効き目を重視しているようだ。実際にお茶を飲んで、その後力が入るかどうかなどの実験を行うと、見事に茶葉によって違うことが分かる。

 

何とも不思議な話だが、これは土の持つ力などの影響によるらしい。今や台湾には真に磁力を発揮できるような場所、昔から自然に茶が生えているような場所はない、といい、飲むべき茶葉はないと言い切る。台湾で山茶など、原生の茶樹があると言われる場所でも、実体は人の手が入っているという。

 

蔡さんの知り合いの学生もちょうど来ていたが、彼の目的な『風邪を引いたので、それを治すお茶』を飲むことだった。葉さんの茶はいわゆる漢方薬のように煎じて飲んでいる。煎じるための壺も特別な土で作っているという。飲ませてもらうとかなり濃い。お茶というより、薬であれば納得できるものだった。何とも不思議な体験をした。頭の中では全く理解できていない。

 

夜はその昔北京で一緒だったHさんと会う。彼と最後に会ったのは、3年前だろうか。場所は蘇州だった。その時生まれた赤ちゃんが三歳になっている。奥さんは、17年前北京でお茶を習った時の同期なのだ。何とも懐かしい。彼は蘇州からそのまま、台北に赴任となったらしい。しかも前任者は大学の後輩、Fさん。何とも奇妙な繋がりであるが、中国関係者にはよくある話だ。雲南の鍋をつつきながら、思い出話に花が咲く。こんなことも久しぶりだった。

 

2月9日(木)
今朝は早く起きて、MRTに乗り、国立図書館へ向かう。中和にある別館には、日本時代の資料が眠っているので、それを覗きに行った。何と9時の開館前に行列ができているのにはびっくり。だが6階まで上がると、人はいない。前回も親切に案内してくれた女性が今回も色々と助けてくれて、検索が進む。何とプリントはせずに自分のUSBに日本時代の新聞記事を入れることができる。すごい!

 

宿にとって帰って、チェックアウトして、空港に向かう。駅前からバスに乗り、桃園空港へのお馴染みのコースだ。もうすぐMRT空港線が開通すると言われて何年経つだろうか。今度こそ3月に開通するというが、にわかには信じられない。エバ空港は今日も快適で、予定時間より早く成田に着いた。ここから1000円バスで東京駅へ行けば、旅も終わりだ。

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