ある日の埔里日記2017(15)台中にベトナム研究者を訪ねる

130日(月)
台中にベトナム研究者の若者を訪ねる

 

今日も快晴だ。埔里の正月は実に爽やかで過ごしやすい。昨日も行ったバスターミナルに今日も行く。今回は台中に行く必要があり、自分が乗るためだ。ターミナルは昨日ほどの混雑はなかったが、ターミナルと少し離れて出発する全航バスに乗ってみる。特に渋滞もなく、ほぼ定刻に台中駅前に着いた。

 

つい先日もここから市内バスに乗ったが、よく見てみると、既に駅前の国光号のバスターミナルは完全に取り壊され、その向こうの方に新しいバスターミナルが見えている。ついでに駅舎も現代的に作られつつある。少しずつ変化が見られる。埔里行きのバスもあそこから乗るようになるのだろうか。

 

今回は台北に住む大学院生で、ベトナム文化を研究している蔡さんを訪ねることになっていた。彼はお母さんと共に旧正月の休みでお婆さんの家に帰省しており、そこに来るように指示が来ていた。そごうの近くのバス停でおり、後はまたスマホを頼りに歩いて行く。相変わらずバス代は無料で嬉しい。

 

何とかその家を探し当てて、声を掛けたが、誰も出て来ない。中に入ると、お祖母さんがいた。こういう場合、台湾語ができないとちょっと怯む。もごもごとしていると、『ああ、孫に用事ね』と国語で言ってくれたので助かった。ただそのまま2階へ行け、と言われてもどうしてよいか分らない。仕方なく、階段を上って行くと、部屋から若者が出てきた。彼が蔡さんだった。

 

蔡さんとは、FBを通じて知り合った。彼はお茶に興味があるというより、まずはベトナムの研究のため、ベトナムのお茶にも関心を持っており、ベトナム人の茶摘みなどを見ている私と、どこかで出会った訳だ。彼は大学院生でまだ若い。ベトナム語はどこかで教えているようだが、ベトナム文化の研究が主である。

 

1階から声が掛かった。彼のお母さんが、昼ご飯の用意をしてくれていた。1階で3人で食べた。エビや豚足など、台湾のお正月の料理が並んでおり、特にベトナム風の物はなかった。お母さんはベトナム生まれの華僑で、中越戦争の時に、台湾に移住したという。ベトナムから華僑が追い出されたという歴史は知っていたが、台湾に移った人がいたとは初めて知る。確かに香港や広東省に移るだけでなく、親戚などを頼って台湾に来た人がいてもおかしくはない。

 

だから蔡さんもベトナム語ができたわけで、それを軸に研究している。やはりそのような糸口がある方がやりやすい。お母さんはずっとベトナムには帰っていなかったが、最近は簡単に行けるようになり、往来も復活した。お父さんは弁護士で、一家は台北郊外に住んでいるが、お父さんは仕事の関係で、この台中の実家も事務所代わりにして、行き来しているという。

 

食後は2階で二人、お茶を飲んで過ごした。蔡さんは若者らしく、好奇心旺盛で、スマホですぐに検索を掛け、色々と質問してくる。その中でもベトナム関連の資料や研究が日本語で書かれているものが多く、彼としてはその本が欲しいようであった。日本語は読めるらしい。検索するとアマゾンで1円だせば購入できるもの(送料は257円)なので、代わりに買ってあげることにした。

 

彼は台湾内にいるベトナム人と付き合い、ベトナム文化に関するイベントなどにも積極的に出席しているらしい。確かに埔里の私の周りのもベトナム人が多い。台湾全体でも無視できない数のベトナム人がいるのだろう。そうなれば、彼のような研究も意味を持つようになるかもしれない。今日はこれまでの茶とはちょっと違ったアプローチだったが、これはこれで面白かった。

 

帰りもバスに乗る。来る時も混んでいたが、帰りはもっと混んでいて、乗るのがやっとだった。やはり無料で乗れるというのは魅力的なのだろうか。ちょうど正月で、実家から台北などに戻る人もいたようだ。台中駅から埔里に行くバスも満員だった。今日は移動が多い日なのかもしれない。

 

埔里まで戻ると、大好物の大腸麺線の店が開いていたので、そこに飛び込み、注文した。内臓系が大好きな私は台北でもよくこれを食べていた。大腸が沢山入ったとろとろした麺。独特の鰹節ベースのスープがまた美味い。ひと椀50元だから気楽な食べ物であり、意外と腹持ちもよい。今日もよく眠れそうだ。

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