ある日の埔里日記2017(3)突然山の小学校へ

113日(金)
小学校と図書館

 

昨日Wさんと話していたら、『毎週金曜日の午前中、埔里在住日本人が集まる会がある』というので、ご挨拶かたがた、行ってみることにして、Wさんに連れて行ってもらった。街中にある画家の方の家が会場だというので、訪ねてみたが、門は固く閉ざされていた。Wさんが電話で確認すると、今日は郊外で写生会を行っているという。さすが画家さんの集まり、何とも面白い。

 

結局その写生会場まで行ってみることになり、またバイクにまたがって郊外へ進む。どこをどう走ったのかは分らないが、自然が豊かな水尾国民小学校に到着した。入口のところで写生している人がおり、Wさんが挨拶していた。後で聞けば、有名な画家先生だという。皆さん、お歳になっても絵を描く情熱は衰えていないようだ。

 

他にも写生している女性たちがいたが、我々が探している日本人グループは居なかった。仕方なく学校内に入っていく。この学校、凄く古いという訳ではないが、なんとなく懐かしい雰囲気がある。周囲が木々で満ちているからだろうか。そして花が飾られていたり、絵が描かれていたり、歩いていても楽しい学校である。学校の外にもバナナがなっていたり、マンゴーの木などがある。一体生徒数はどれほどであろうか。授業中の教室もあり、話は聞けなかったが、何となく山の学校の雰囲気があり、好ましい。

 

Wさんに送ってもらい、埔里の街に戻る。日本人の集まりには次回参加しようと思う。我が宿泊先からはちょっとところにロータリーがあり、蒋介石の像が建っている。台湾の街ではいまだにこの像がある所が多いが、これはどういう心境なのだろうか。大陸の毛沢東像とはだいぶん意味合いが違うように思うのだが、撤去されないのはなぜだろう。

 

媽祖廟もその近くにあった。これがまた意外なほど立派だった。媽祖様と言えば、海の近くにあるのかと思っていたが、こんな内陸部にも立派なものがある。孔子廟もあった。埔里にも一応ワンセットあるのだなと分かる。旅行で来たのでは、一々行かないだろうところへ、散歩で来られるのは嬉しい。

 

それから埔里の図書館へ行く。昨年もちょっと寄ったことがあるのだが、ここの4階に日本時代の展示館があるので、何かしら資料があるかと聞きに行く。入口の近くに写真が飾られている。よく見るとそれは霧社事件に関連していた。特に犠牲になった日本人、日本人と結婚した原住民の写真が目を惹く。霧社は埔里から山を登る。地理的には非常に近いところにある。

 

中に入ると、そこは昭和レトロな展示になっている。日本統治時代に、埔里にあった商店が再現され、お医者さんの診療所などもあった。当時の知識階級の台湾人が写真や書籍などを残しており、それが展示されている。埔里がその昔どのような位置づけの街であったかを知りたいと思ったが、それを見つけることはできなかった。学芸員さん?が居たが、先客があり、話を聞くことはできなかった。ここもまた後日再訪しよう。

 

昼間はそうでもないが、夜はやはり涼しい。ファミリーマートで売っている焼き芋が美味しいと聞き、食べてみる。ちょっと柔らかくて甘い。値段は重さによって違うが、まあ30元程度。

1 thought on “ある日の埔里日記2017(3)突然山の小学校へ

  1. 私は小中学校は戦前戦中でしたから、霧社事件は歴史の授業では殆ど触れられませんでしたが、本当は当時の日台関係では大事件であった事を後で知りました

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