NHKテレビで中国語コラム『アジアで中国語を使ってみた』2013年8月号第5回『インドネシア』

第5回『インドネシア』

人口約2. 4億人を抱え、経済成長著しい東南アジアの大国、インドネシア。9割以上がイスラム教徒というこの国でも華人はたくましく生きていました。今回はインドネシアのバンドンに多くの親戚を持つ香港出身の友人に同行して、その言語事情を探ってみました。

ジャカルタからバスで約3時間、標高700mの高原都市バンドンは1955年にアジア・アフリカ会議が開催され、スカルノ、周恩来、ネルー、ホーチミンなど第三世界の指導者が一堂に会したことで歴史の教科書にも名をとどめています。

ジャカルタの高温多湿を嫌い、週末になると多くの人々がやってくる避暑地でもあり、華人も多く居住し、繊維産業など地元では経済的に大きな役割を果たしていると聞いていました。ですが、バンドンの街中を歩いていても、どこに華人が住んでいるのかまったくわかりません。漢字の看板、表示がほとんど無いのです。かろうじて見つけた中国料理店の60代のオーナーは、「親が福建省から来た華人だ」と流ちょうな中国語で話してくれました。そして「60代以上の華人は中国語がかなりできるよ、ただ30~50代はほとんどできないね。だって華人学校は閉鎖されていたから」と付け加えました。そう、スハルト政権時代の1960年代後半から2000年頃まで、政治的な理由から中国語は禁止されていたのです。漢字の看板がないのもその影響だと言われています。ちなみに現在華人学校へ行っている若者は授業で中国語を習っています。

香港出身の友人の親戚が集まった夕食会。友人は、60代の叔父さん、叔母さん達とは中国語で話し、30~40代のいとこたちとは英語で話していました。またこの一族は客家 系でしたが、家族内で客家語が使われることはなく、現地インドネシアの言葉で会話しているため、あちこちで違う言語が飛び交う実に多言語な食事会で驚きました。

首都ジャカルタのチャイナタウン、グロドッ地区。ここも漢字の看板は多くありませんが、いかにも中国人居住区、という感じの狭い路地に家がひしめき合っていました。ジャカルタ湾に近く、オランダ時代の古い建物が残るコタ地区に隣接、100年以上前にここへやってきた中国人が貿易や港湾労働に従事した様子が目に浮かびます。

最近は経済発展を見込んで中国大陸から商売にやってくる人々が増えてきました。そんな人々が泊まる宿のオーナーに話を聞くと「この国で華人が生きていくことは本当に大変だった。暴動や略奪に見舞われることもあった。それでも
ここしか生きていく場所がなかった。今の中国人にはわからないだろうね」と、苦難の歴史を切々と話してくれました。表通りには、中国人相手のレストランが大きな簡体字の看板を掲げて営業していますが、今後この国で大きな混乱がないことを祈るのみです。なお、他のアジアの国も同様ですが、くれぐれも周囲の安全を確保した上で、旅行をお楽しみいただければと思います。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です