北タイ茶旅2024その1(2)ファーンの茶工場

午後はどうするのかと思っていたら、何と土管温泉へ行った。ここは20年前に日本人が川沿いに沸く温泉に入るため、土管を地中に埋めた場所。今やタイ人や白人の人気スポットになっており、車が何台も停まっていた。だが我々にとって、入りもしない温泉よりは茶畑だった。なぜここへ?

続いてチェンダオ洞窟へ行く。ここはドームが幼少期、おばさんの家に預けられた場所だと説明されたが、やはりなぜここに来たのは不明。取り敢えず入場料を支払って洞窟内見学したが、何だかシャン州のビンダヤの洞窟を思い出す。北タイからシャンにかけては多くの洞窟がある。

最後にファーンに入る前に、突然鳥居が見える。通称ヒノキランドと呼ばれるテーマパークのような場所で、日本関連の場所がここに再現されている。日本旅行がブームのタイ。日本に行かなくても、日本が味わえる、ということだろうが、今回の参加者は皆日本から来ているので、全く興味を示さない。取り敢えず写真だけ撮って退散。参観者も殆どいなかった。

夕方ファーンの街に着いた。まだ陽も高いのにホテルに入っても仕方がないので、ファーンのお寺を2つほど訪ねた。以前半日かけてこの街を歩いた記憶が蘇る。特に何もない、名所もない街ながら、何故か心地よい。高い建物が全くない、車が少ないなどいくつも要因はある。寺が多いのも関係あるだろう。ファーン自体の街の歴史は実はあまり分かっていない。寺もビルマ風、シャン風の建築様式だとは思うが、その歴史はよく分からない。まあ、この地域も極めて複雑、としておこう。

ホテルに入る。だがオーナーのヨックは不在だった。チェンマイへ行ってしまったらしい。夕飯はラフ料理を中心に、茶葉サラダやてんぷらなど、かなり色々と食べられた。皆満足したのではなかろうか。食後はお茶を試飲したが、お茶淹れのカレン族お姐さんが帰ってしまい、宿の若者が四苦八苦しながら淹れてくれた。ワイルドティや白茶に興味が集まる。後はこの宿の来歴、ドームたち兄弟と父親の物語の展示を説明して、1日目を終える。

10月30日(水)ドイプーメンからメーサロンまで

朝は早めに起き、ちょっと散歩する。托鉢のお坊さんたちが街を歩いているのが好ましい。中には老僧をカートで送っていく信者もいる。この街は本当に時間がゆったりと流れていく感覚が良い。ちょっと考えごとをしていたら、寺までお参りに行く時間も無くなった。朝飯はラフのお粥。いつもながら優しい味が好きだ。

今日はまず難関のドイプーメンへ上がる。と思っていたら、車は突然郊外の工場で停まった。何と茶工場だった。中からオーナー夫人(結婚40年)が出てきた。聞けば、1960年代国民党関係だったご主人(姓は蘆)が、茶房で茶業を始め、70年代にここに降りてきて工場を開設したという。恒春茶廠と書かれていたので台湾絡みかと思ったが、全く関係ないという。だがその横には台湾製の揺青機が置かれている。

昔は紅茶も作ったし、荒茶も作ってバンコクの三馬にも出していたという。原料は茶房から来る。ここで作られた茶がバンコク経由で香港に運ばれたという話も聞いたことがあるという。烏龍茶を結構作っていた様子も窺われる。変な言い方だが、良く生き残ってきたな、と感心する。ご主人が不在で残念だったが、次回また訪ねてみたい場所だ。

そこから山登りが始まる。さすがに1か月前に大水で山道も傷んでいたが、通れない所はなかった。道のでこぼこは相変わらずだが、ドームの慣れた運転で難なくドイプーメンに入る。久しぶりに訪れたが、村は一見どこも変わっていなかった。一応茶旅ツアーなので、ランチを用意している母屋へ行き、普通のお茶(タマダー)を飲む。

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