タイ北部、中部を旅する2019(3)メイオ村の茶畑

続いて山の中に車は入っていく。そしてパントン宮殿という名前の所で降りた。宮殿と言っても、ちょっとした建物があるだけだ。この周囲の竹の庭、実に見事だ。一本一本の竹の幹も太い。ここはロイヤルプロジェクトでプミポン前国王妃が年に一度訪れていた場所らしい。それでパレス、となっているという。立派な椅子が飾られている。プミポン王はすでに亡く、最近は王妃も高齢でこちらに来ることはなくなった、とガイドは残念そうに話す。

 

因みに今日のガイドは私と同年配の男性で、実は生まれはここからかなり離れたイサーンだというので、驚いた。1970年代、まだかなり貧しかった頃、一家でこちらに移住してきたらしい。いい教育も受けられず、様々な苦労があったろうが、当地に根付き、民族や文化にも相当知識が深く、話していて楽しい。また『娘はチェンマイの大学に行っているが、彼氏が日本人なんだ』と気さくに話す。

 

その後、普通のツアーでは滝などを見学するらしいが、私の目的を知ったガイドはそこを飛ばして、一路メイオ村を目指した。こういうアレンジが貸し切りの良い所だ。メーホーンソンの街から45㎞、車で約1時間来ると、茶畑が目に入ってくる。ただその茶畑は、現代のかなり管理されたものとは異なり、株ごとに間隔が開いて植えられている。勿論これも昔誰かが植えたに違いないが、台湾人がやって来て、新たに植えたという感じはない。

 

村は池を中心にかなりこじんまりしていた。急に雨が降り出したので近くの店に入り、そこで茶を飲ませてもらった。ジャスミン茶と烏龍茶だった。やはり30年ぐらい前から茶作りを始めたという。ただそのお茶の質はそれほど高くはなく、メーサローンのように競争にもまれてはいないようだった。

 

雨が小降りになったので、池の周囲を一周した。やはり台湾からの支援で作られたものがいくつか見られ、また漢字で書かれたものもあり、国民党残党の村であることは確認できる。昼ご飯は中華を食べるのがよい、と昨日旅行社の人は言っていたが、ガイドは迷わず、現地の麺を選択した。それは『中華は観光客向けで料金が高いわりに美味しくない』という理由からだった。

 

とにかく私が彼の提案に同意したのは、その麺が『シャンヌードル』だったからだ。俄然ミャンマー国境の気分になる。この村の人口(約500人)の9割は中国系だと言われ、あちこちで華語が聞き取れていた。ヌードルを作っている女性も一見中国系に見えたが、何とワ族だった。『この村で生きていくには華語は必須だよ』といい、お茶を勧められたので、サンプルに2つほど買ってみた。

 

それから食堂の上に登る。ここの茶畑は間隔が狭く、現代的な茶樹の植え方だった。そこにはコテージも作られており、聞けば観光茶園として売り出すための物であり、茶畑を美しく見せる為の造作だった。1泊2000バーツぐらいで泊まれるようだが、果たしてどうだろうか。更に周辺にはいくつかお茶を売っている店があり、華語も通じたが、茶の歴史に関する有力な情報は得られなかった。皆茶作りを仕事とは考えているが、文化とは思っていないらしい。

 

その後車で5分ほど山道を入ると、タイ領の終わりに着いた。ミャンマーには入れないので、そこで引き返すつもりだったが、そこはミャンマー政府の管理が及ばない地域だと分かる。ゲートがあったがガイドと一緒になんなく通過して、ちょっと向こう側を散歩して住民に話を聞いた。難民問題は本当に簡単ではない、とつくづく思った。同時に国境とは何か、領土とは何かを改めて考えさせられた。これは稀有な体験だった。

 

目的は一応果たしたので、街に帰った。帰りはちょっと目をつぶっていたら、あっという間に着いてしまった。まるで夢でも見ているかのような時間を過ごした感じだった。旅行社に戻り、明日のパーイ行きのバスチケットを買おうとしたが、午後4時の便まで満席とのこと。迷った末に、この街ではやることもないので、次に進むことにしてそのチケットを買う。

 

疲れたので一度部屋で休み、また夕飯を探しに外へ出た。結構大きなスーパーがあったので、非常食としてお菓子と飲み物を買う。更に何とか食堂を見つけて炒飯にありつく。田舎町の夜は、ご飯を食べるのも一苦労だ。一軒の店の名前が『しゃぶ屋』と書かれている。しゃぶしゃぶの略だとはわかっているが、ここがある意味、ゴールデントライアングルの一部であることから、とても笑えない。何かやばい店かと思い中を覗くが、店員が暇そうにしているだけだった。

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