タイ巡礼、そして茶旅2017(15)メーサローン 中国語通訳を

7月26日(水)
メーサローンへ

今朝はやはりメーサローンへ向かう。チェンライまで茶の関係で来て、メーサローンへ行かない人はいないだろうとは思っていたが、やはり。ロットゥは既に何度も行った道を行き、途中から山道を登り始める。どこへ行くかはピアポン先生次第だったが、1時間半後に到着した茶工場は、やはり増福茗茶だった。

 

オーナー夫妻は私を見付けて驚いた表情を見せ、『なんだ、あんたが連れて来たのか』という。私が初めてメーサローンに来た2006年以来の付き合いだから、もう気心が知れている。当然ここでも通訳業務を仰せつかる。福建安渓から招いている茶師の張さんは、残念ながら病気で故郷に帰っているという。彼が来てから、ここの茶の味はどんどん良くなっていたので、ちょっと残念だが、彼ももう歳なので、そろそろタイ人でやっていく時代かもしれない。

 

茶工場の様子に変化はなかったが、ただ一つ、豆腐機があったのには驚いた。圧茶機と呼ばれるこの機械、茶葉を豆腐のように四角く圧縮するので、台湾では豆腐機と呼ばれている。茶葉を揉む工程にこれを使うと品質に問題が出るとのことで、既に鉄観音茶の産地、安渓では使用が禁止され、台湾でも規制が始まっている代物だ。

 

なぜここにあるのかと聞くと、2年ぐらい前に台湾の人が持ち込んだという。『これがあると揉むのが楽で、非常にコスト節約になる』というのだ。しかも『最近は紅烏龍茶を作り始め、豆腐機を有効に活用し、生産量を伸ばしている。有機紅烏龍はヨーロッパで人気になっており、結構高い価格で売れるので経営的には助かっている』というではないか。台湾との繋がりは良いが、豆腐機や紅烏龍が持ち込まれるのは、どうなんだろう。

 

続いて、増福と並ぶ有力茶園、芙蓉宮へ行く。この2社がチェンライ空港に出店を出しているので、名前は知られている。私はここに入ったことはなかった。迎えてくれたのは若い女性。彼女は若いけれども中国語は流ちょうだった。実は私は増福の娘を知っているが、この2人は同級生だというから驚いた。増福の娘は既に嫁に行き、子供もできているが、こちらの彼女はまだ結婚せず、家業を手伝っていた。

 

まずは茶畑が見渡せるお店で昼ご飯をご馳走になった。鍋が出てきたが出汁がうまかった。豚足などの名物、新鮮な野菜と、ご馳走が並んで嬉しかった。食後はメーサローンの市場に出掛けたが、平日ということから観光客の姿はなく、土産物を売る店で、お茶を少し見ただけで退散した。それからメーサローンの歴史を展示する泰北義民文史館という博物館へ行き、雲南・四川の元国民党兵団がここに流れ着き、タイに帰順した歴史を勉強する。一般の方には全く知られていない歴史かもしれないが、これが茶業と大いに関連するので、是非学ぶべきだ。

 

彼女の父はやはり国民党兵士で、メーサローンで最初に茶園を作ったという。メーサローンの象徴ともいうべき、大きな急須のモニュメントを作ったのもこの会社だった。その場所へ行くと、モニュメントの横に茶園が広がっていた。そこでお父さんが働いていた。30年前、ここを開墾して茶樹を植えたんだ、と懐かしそうに言う。そしてその地を今また開墾して、新たな茶樹を植えようとしている。元兵士だが、今は完全に農民に見えるお父さん。しかしその不屈の魂は若い頃に培われたものだろうか。

 

最後に登って来る時に通り過ぎた101茶園に立ち寄る。ここは観光茶園と書かれているほど、明確に観光客を相手に商売している。茶業専門家が来てもそのような対応はしない。茶畑の風景を眺め、茶工場の中を確認する程度。あとはアイス蜂蜜烏龍茶を飲んで退散する。本日の訪問は全て中国語が通じており、私が通訳をする。そのこと自体が、メーサローンの歴史を雄弁に物語っていた。ここはタイであって、タイではないのだ。

 

そういえば、車の中で機械メーカーの方々から、現在の世界の茶業の状況を興味深く聞く。先日行った中国貴州省にもよく行くというし、ケニアなどアフリカへの出張も増えているという。大規模茶業を展開するところでないと、製茶機械を売っていくのは難しいだろうから、彼らが行くところが世界の茶葉供給基地ということも言える。そういう意味では、タイの茶業の規模は中国やアフリカには及ばないから、自ずと別の道を行くことになるのだろう。

暗くなるころ、ホテルに辿り着いた。そろそろ食べ過ぎで動きが鈍くなる。今晩は軽く麺でも食べたかったが、団体行動なので、すぐ近くの華人経営のレストランに入る。食べないつもりでいても、料理が出てくると食べてしまう。なぜこんなに卑しいのだろうか??まあそれでもみんなで食べると美味しい!

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