埔里から茶旅する2016(5)焙煎という仕事

焙煎という仕事

有名な焙煎師のところにも寄った。前回もUさんに連れてきてもらったのだが、そのおじさんとUさんが焙煎について激論になり、こちらは目を白黒させていただけだったのをよく覚えている。後で聞くと、このおじさんのお父さんは台湾でも超有名な焙煎師であり、その息子としておじさんにも相当のプライドがあったはずだが、そこで若いUさんが、堂々と意見を言っていたのだから、双方に対して驚くしかない。そこには厳しいプロ同士の高みを目指す姿勢が感じられた。

 

今日は、おじさん、機嫌がよかった。相撲が好きだと言い、テレビを点けると、ちょうどNHKで大相撲中継をやっていた。ただ時々時計が鳴ると、すぐに奥に引っ込み、焙煎を続けている。跡継ぎである息子も一緒になってやっている。彼はお父さんとは違い、かなり温厚に見える。いや、お父さんもきっと温厚な人なのだ。だが、焙煎にかけては譲ることはできない。それが職人というものなのだろう。笊を持ち上げて揺する、かなりの肉体労働が繰り返されていた。

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原料となる茶葉、今年はなかなかいいものが手に入らない、と嘆く。これは天候不順の問題だけでなく、やはり茶農家の減少などと関係しているかもしれない。しかし焙煎師とは難しい仕事だ。茶農家ではないのだから、自ら茶畑を持っている訳ではなく、茶葉が供給されなければ何もできず、その茶葉の質をコントロールすることもままならない。そしてこちらのように、全てを手作業でやっている限り、焙煎できる量には限りがあり、市況がよくても、供給量を伸ばすことも難しい。しかも相当にストイックな作業、メンタルも強くないとやっていけない。

 

まだ明るかったが、偉信が待つ店に夕飯に向かった。実はこの日、偉信と彼のお父さんの出品したお茶がコンテストで最高賞を受賞した、という実に喜ばしいニュースが飛び込んできた。Uさんも『これは本当に素晴らしいことだ』と我がことのように喜んでおり、今日は飲むぞ、という雰囲気になる。コンテストは沢山あるとはいえ、出品する人々もすごい数に上る。その中で、一番を取る事の難しさは、私などには想像もできないほどの大事なのだ、と実感する。これが飲まずにはいられるか、ということだ。

 

先ほどのおじさん同様、偉信もまた、相当の努力を払って焙煎を行っていた。我々にはその素振りさえも見せずに、いつもにこやかに駄洒落など軽口をたたき、笑っていたが、お父さんの指導もあり、厳しい仕事に従事していたのだ。農会のところで、お父さんとすれ違った。右手を大きく上げて、その喜びを表現していた。彼らはコンテスト入賞の常連ではあるが、やはり一番を取る、ということは得たものしか分らない、喜びがこみ上げてくるようだ。

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鶏肉の美味い店だ、ということで酒を飲まない私はたらふく食べた。Uさんはしきりに乾杯を重ねており、ビールからウイスキーに酒が切り替わっていた。偉信の友人たちも祝福にやってきており、鹿谷で彼が愛されていることが随所にみられた。Iさんも結構飲まされ、Yさんは自分からずんずん飲んでいた。その内に、Uさんがフラフラし始め、テーブルに突っ伏して寝てしまった。彼もストイックな性格なのだ。今年の春茶の仕入れに相当の神経を費やし、苦悩の日々を送っていたことを物語っていた。真面目にやれば厳しい仕事なのだ。最後は偉信に抱きかかえられて、帰って行った。

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5月19日(木)
朝ご飯

翌朝私はすっきりと起きる。Uさんのことが気にかかったが、まあ今日は静かに寝かせておこうと、敢えて連絡は取らなかった。Yさんが朝ご飯を食べたいという。この教会、昨晩戻って分ったのだが、上の階の宿泊施設は、教会から委託された地元民が運営していた。1泊900元、と言われて、かなり驚いた。5年前は申し訳程度に300元払っただけだったのだから、3倍にもなってしまっていた。Iさんが泊まったのは私が昨年泊まったところで、1泊600元。設備がきれいになっているとはいえ、どう見てもちょっと高い。だがこれもご縁なので、従う。

 

その代わり、朝ご飯の場所に連れて行け、とお願いして、彼の車で食べに行った。葱餅屋だった。そこで餅と豆乳を注文した。地元の老人が朝ご飯を食べにくる場所であり、緩い空気が流れていた。この葱餅、作り立てということもあり、実にうまかった。そしてここの主人と奥さんが『アンタラ、日本人だろう。あたし等、日本が大好きでね。毎年日本のどこかに行っているよ。去年は日本海側の街を回ったがよかったね』というではないか。正直葱餅を売って、どれだけ収入があるのか分らないが、それでも毎年日本に旅行に行ける。このゆとり、これは素晴らしいことだ。

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食べ終わると宿に戻り、チェックアウトした。今日はYさんの要望で、埔里へ行くことにしていた。昨晩埔里のゲストハウスオーナーの日本人に電話を掛けて確認したところ、鹿谷から埔里へは直通バスはなく、どこかで一度乗り換えるようだった。そのバスは9時に教会脇のバス停に来るようだったので、そこへ向かう。Iさんも同行するというので彼の到着を待っていた。するとUさんから携帯に電話があり、『埔里まで車で送っていく』といい、すぐにやってきた。これは有り難いが、昨晩の酔い方から考えて大丈夫かと心配になる。

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