鉈先生と行く雲南ラオス茨の道2016(4)国境まで15㎞の村で

3. 烏太
徒歩で5㎞

烏太の街を横目に車はまた山に突っ込んでいった。時刻は午後2時を回っている。もし今日も着かなかったらどうしよう、などとは思わなかったが、なんとも嫌な予感がしていた。ランクルは水のある場所、小川などを苦も無く走破していく。もし普通の乗用車で来ていたら、全く身動きが取れなかっただろう。それでも比較的大きな川のところで道を失う。その川では子供たちが楽しそうに水浴びしていた。丸まると太った豚君たちもその横で水に入っている。

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王さんが近所の人に道を聞いていた。そこへ向こうからバイクに乗った人がやってきて、普通話で『この先に道はないぞ』という。鉈先生によれば、一昨年来た時は、車で村まで行ったというのだが、地元の人の言うことを信じるべきだろう。しかし王さんも鉈先生も行った経験があるというので、それを無視して、川を車で渡り、さらなる山道に飛び込んだ。

 

しかしやはり、道はなかった。正確には道はあったが、車が通れる幅がなかったのだ。そこで初めて、村長に電話を入れるが、繋がらない。困っていると村人がバイクでやってきたので連絡を取ってもらうと、やがて村長はバイクで登場した。だが、我々が持ってきた土産、ビールや日本酒などをバイクに積み込むと、行ってしまうではないか。

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取り残された我々3人は車を沿道?に乗り捨て、炎天下の道を歩くことになった。村長に村までの距離を聞くと『遠くはない』との答えだったが、結果的にはそこから約5㎞を歩くことになる。後でわかったことだが、このあたりに住む人々には、残念ながら距離感というものが全くなく、『遠くない』は、意味としては『自分で歩いて行ける範囲』ということらしい。ということは、鉈先生もこの付近の住民と同じ感覚だ、ということに初めて気が付く。

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マーラー村で

それにしても疲れ果てた。少し日が傾き始めた頃、我々はついにその村に到着した。そこはマーラー村という名前だと聞いた。実にのどかな、家々が少しあるだけのシンプルな村だった。だがお婆さんの服装を見れば、そこが中国で言うところのヤオ族の村であることはすぐにわかった。これは昨年訪れたベトナムの村に似ていなくもない。家の壁に『古茶樹』とか『大茶樹』とか、漢字で書かれているのも面白い。ベトナムのヤオ族の家には対聯などの漢字文化を受け継いでいたが、ここにはそれはなかった。

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早々に村長の家の前でお茶を飲み始める。村人が集まってきた。お茶は大葉種でできた緑茶。いい感じに乾いた茶葉がそそり立つようにテーブルに置かれている。これはまさにプーアール茶を作る時の原料のようであり、ミャンマーの山岳地帯でも目にしてきたものであった。作りたての茶葉で茶を淹れると、味は悪くないが、かなり強烈であり、できれば半年ぐらい置いてから飲みたい感じもする。茶殻は見事なばかりの緑色をしていた。何種類か試す。

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村長が席を外す。どこへ行くのかと見ていると、ちょうど摘まれたばかりの茶葉が運び込まれており、彼はその計量をしていた。これは重要な村長の仕事なのだろうか。計量は分銅を点けた昔ながらの秤で行われる。この軽量で全ての成果が問われるので、当然皆真剣だ。村長はノートに1つ1つ記録する。そして村長はいつの間に我々の前から姿を消していた。彼は一体どこへ行ったのだろうか。

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村の中を散策する。豚が飼われており、皆お昼寝をしている。お婆さんはヤオ族の伝統衣装を着ているが、他には誰も民族衣装など着ていない。鉈先生は持ってきたお菓子を子供や若い女性にばら撒いて、ご機嫌を取る。若者からは鉈さんに声がかかる。『うちで作った茶葉を見てくれ』というリクエストが多い。ここでは彼は『茶葉を買ってくれる買い手』として認識されており、村長以外の家からも買ってほしい、という要望が寄せられている。茶葉は皆古茶樹の葉だというが、そうなのだろうか。素人の私にはよくわからない。勿論村の周囲には茶畑など見られない。

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ご飯だと言われ、裏の調理場のような場所へ連れていかれる。そこには新鮮な豚肉を煮込んだもの、野菜を煮込んだもの、そしてもち米で炊かれたご飯が出てきた。何とも素朴な料理だったが、何しろ素材がよいので、実にうまく感じられる。王さんによるとこの村では今日、もち米祭りが行われているらしいが、その気配は全く感じられない。単にもち米を食べる日なのだろうか。薪でやかんの湯を沸かしているのが好ましい。

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夕日が落ちていくのをゆっくり眺めながら、枝取りをする村人たち。こんな風景は茶旅の理想形の1つに思えてくる。村外れまで歩いてみても特に何もない。何もないことが素晴らしいと思えるような村だった。そして日は急速に落ち、夜の闇に包まれていく。我々は村長の帰りを待ったが、一向に戻る気配がない。この時になって初めて、『中国から茶葉の注文があり、村長はバイクで届けに行った』と聞かされた。中国国境までは僅かに15㎞、注文は中国携帯を使って、中国語で行われていることが分かる。

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我々ははるか400㎞を走破してここに辿り着いたのだが、ここの住民は僅か15㎞で中国の国境を越えられた、というのは衝撃の事実である。勿論イミグレなどない場所、厳密には越境なのだろうが、この辺の人々には従来から国境の概念などは薄い。いや、国境は国家間で勝手に決めたものであり、そこに住まう住民には国境などないのだろう。

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