鉈先生と行く雲南ラオス茨の道2016(3)目的地まで行けなかった初日

2.烏太まで
ついに着かなかった初日

車は国境からラオスに入った。中国の道よりよくはないが、まあ普通の滑らかさで揺れはあまりない。30分ぐらい走ったところで見覚えのある分かれ道を過ぎた。確かここは2月にファーサイからルアンナムターを経由して通ったはずだ。これはどういうことだろうか?確か鉈先生は『タイから入るよりずっと近い』と言っていたが、これでは同じではないか。そんな疑念は抱いたが、もっと近道があるはずだ、バスとは違うのだと思うようにした。

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1時間半ほど走ると、車が急に止まる。道端に少数民族の物売りが沢山小屋掛けしていた。山で採れる薬草や野菜を売っていた。何か買うものがあるのだろうか、と見ていると、鉈先生は誰かを探し始め、そしてついに見つけた。それは前回ここに来た時に、一緒に写真を撮った女性で、今回はその写真を渡すために車を停めたのだ。更に今回鉈先生は文明の利器を用意していた。チェキ、これで撮れば、その場で写真を渡すことができる。幼い子の中には、何が起こるのかわからずに泣き出した子もいたが、概ね好評だった。地元民との交流は、鉈先生のお得意とするところだ。

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国境から2時間後にウドムサイに着いて、完全に道が同じであることを思い知った。大きな街なので当然休息すると思ったのだが、王さんは運転の手を休めずに、そのまま中心都市ウドムサイを通過して、山道に突っ込んでいった。すでに日は西に傾いている。ここから私はバスで9時間かけてポンサリーへ行ったのだ。車だと何時間で行けるのだろうか?そんなに早いのだろうか?鉈先生はまだ『そんなに遠くない』と言っているが、本当に前回もここへ来たのだろうか?王さんが急いでいる様子を見ても、そんなに近いとはとても、とても思えないのだが。

 

山道をぶんぶん飛ばしていくが、残念ながら高速道路のようなわけには行かない。トラックなど大型車量を追い抜くのも一苦労だった。途中でトラックが停まっていた。見ると周囲からバナナが取られて運ばれてきており、ここで積み込まれている。この辺でバナナが作られているのはちょっと意外だった。それほど中国から近いわけではないが、バナナ栽培に適している要素がこの辺にあるのだろうか。日は更に傾き、いよいよ暗くなり始めてきた。

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夜道を2時間ほど走った。暗いのでどこをどう走っているのか分らなかった。9時ごろになり、ついに車が停まった。どこかへ着いたのかと思ったが、ご飯を食べるのだという。もう西双版納を出て12時間以上が経っているが、本当に今日、着くのだろうか。魚入りの濃厚なスープがやけに美味かった。疲れはかなりの状態になっており、野菜炒めは食べたが、ご飯は少なめとなる。そして王さんがここのオーナーと何か話を始めた。そして車でどこかへ向かう。鉈先生は『あと2時間ぐらいで着くだろう』などとのんきなことを言っていたが、そんな状態ではない。

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着いたところは、村はずれの場所。そこにゲストハウスがあった。王さんが『今晩はここに泊まろう。もう限界だ』という。やはりそうだろう、私の2か月前の経験から言っても、とてもポンサリーなどへは行けない。部屋は道路沿いの小さな宿としては、きれいであり、泊まるのに支障はなかった。私はシャワーを浴びるべきだったが、疲れたので、ここがどこかも分らないまま、そのまま寝てしまった。Wi-Fiが繋がらなかったのも一因だった。

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4月9日(土)

行先変更

翌朝は早めに起きて、ロビーでネットに挑戦。今やラオスの田舎でもWi-Fiは普通の存在だった。ただ容量が少なく、繋がらないことが多いだけ。ここに泊まっている若者は中国語ができた。中国人もいた。外へ出ると、向かいの家は農家だった。トラクターに座り、女の子が幼児をあやしている。ラオスでは兄弟の面倒を見る子供は大勢いるが、なぜか気になる子であった。

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車で出発した。すぐに曼約という街に着く。ここも2月に通過した記憶がある。正直未だここまでしか着ていないのか、という思いである。そこで朝ご飯を食べる。薪で鍋に湯を沸かし、麺を入れて茹でている。素朴な麺が出来上がる。お湯をもらい、茶葉を入れて、茶を飲む。鉈先生はここでも民間交流を展開するが、相手は興味を示さない。

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1時間半ほどでボーヌアまで来た。ここからポンサリーまでは50㎞ちょっと、ようやく目的地が見えてきたが、鉈先生は『ポンサリーに行かないで直接茶産地へ行こう』という。茶産地はポンサリーではないのか、それはどれぐらい離れているのか。そんなに近くないという言葉は既に幻となっている。ここでバナナを仕入れ、そして昼ご飯として、焼き魚と焼き鳥を買う。これを買うということはこの先に食べるところがない、と王さんの表情に出ていた。

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確かにここからの道は良くなかった。道路工事現場もあった。途中で葬式の準備をしているところがあったが、その先にはやはり家はあまりなかった。土砂崩れが起こっているところもあった。何とか麺を食べる店を見つけて、ランチを取る。そこでさっき買った焼き魚を食べると結構イケル。ついに烏太の街が見えたのは朝出発してから5時間近くが経っていた。これでもまだ『近い』とは、もう誰も言えないだろう。しかし車はここで停まらなかった。目指す村はここからまだまだ先だったのだ。

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