スリランカ紅茶の買付茶旅2016(13)リプトンが作った茶工場

ダンバッテン工場

そしてついに7㎞の道のりを歩き通し、ちょっとした集落に入り、ダンバッテンの茶工場が見えてきた。リプトンシートから2時間はかからずに降りてきたことになる。確かに白人の若者たちが何人か歩いていたが、実はそれほど大変な道のりではなかったのかもしれない。私の場合、突然バスから降ろされて、歩けと言われたので、そのショックが大きく、覚悟がなかっただけかもしれない。

いずれにしても工場に入れば、お茶は飲めるし、休息も取れるだろうと思ったが、それはある意味で間違いだった。工場の門は開いていたので、中に入る。まずはトイレに行こうと思い、探すがなかなか見つからない。おばさんがこっちだと手招きしたので、ようやく用を足した。工場の一番端にあったのだが、出てくると、おばさんがチップをくれという。こんなのは初めてだった。ここは観光地化されているのだろうか。

工場に行き、紅茶が飲みたいというと、『テースティングはない』と素気無く言われ、『ティショップもないので、ここではなにも飲めない』と冷たく言われてしまう。せっかくここまで来て、お茶も味わえないのは正直ショックだったが、仕方がない。何とかお茶は買えないかと、聞き返すと、マネージャーが呼ばれてきて、箱に入ったBOPを無造作に差し出す。これを購入してあとは諦める。

この工場はトーマスリプトンが1890年ごろに、スリランカで初めて建てた茶工場として有名らしい。そういうことで世界中から観光客が来る。その対応は有料の工場見学のみで、テースティングは付かない。何とも味気ないものだった。私はクマさんの買付についていった後だったこともあり、それでは到底満足できずに早々に引き上げることにした。因みに見た感じではリプトンを思わせる物は、ここには殆どなかったが、いまだにここで作られた茶はリプトンが大量に購入しているとの話も別途聞いた。

ここからはバスがあるはずだと、探していると、急に汽笛のような音がした。そこまで急いでいくと、今まさにバスが出ようとしていたので、慌てて乗り込む。バスに下校途中の小学生などが乗っていたが、観光客はほんの少しだけだった。来た道と同じところを折り返していくのだが、午後の日差しは強く、かなりの暑さだった。汗だくなるが勿論冷房などない。途中からは人が沢山乗り込んできて、車内は一時満員となり、その暑さが半端ない。

30分後にバスは見慣れたハプタレーの街に入ったが、ここが終点ではなく、人が次々に乗り込んできて、降りるのに苦労した。街中は山とは違い、暑さがひどかったので、すぐに宿に戻る。そして腹が減っていたので、そこでコーラを飲み干し、サンドイッチを頬張る。まあ、とにかく相当の運動の後の爽快感があった。そこから眺めていると、ちょうど列車がやってきて、人々が降りてきた。列車の人々もドアを閉めない3等車では、白人が足をブラブラさせて、乗っていた。エアコンなどないのだろう。一見のどかな光景であることには違いはないが、何となく怖い。

街歩き

もう疲れたから、今日は休みと思ったが、まだ少し体力が残っており、夕方散歩に出た。もう一度駅舎へ行くと、線路が夕日に照らされてきれいだった。再度コロンボまでのチケット代を確認してみると、何とここからキャンディまで行っても、コロンボまで行っても、料金は変わらなかった。しかも2等車になると、どこへ行ってもすべて同じ料金、こんな体系は初めて見る物で、ちょっと驚いた。

私は帰りのエアチケットのコピーを持っていないことに気が付き、プリントできるところを探した。インドほどではないにしろ、空港に入る時、チケットを提示しないと面倒だと考えたのだ。だが、この街でプリントやコピーのできる店はあまりないようだった。街中をクルクル歩いてみたが、見付からない。1軒だけ看板が出ていたが、そこは閉まっており、なぜか数人の男がそのシャッターをこじ開けようとしていた。なんだろうか。ようやく見つけた写真屋で無事プリントができたが、それもかなり時間が掛かった。

それからこれまで歩かなかった、丘になっているところを登ってみる。この辺には安宿があるようで、白人がバックを背負って登っていく。ヒンズー寺院が下に見え、教会が横にある。降りてくると、線路脇で野菜を売る人がいる。その向こうの商店では酒を売っている。スリランカでも酒の販売はかなり厳しく取り締まられていると聞いていたが、確かにどこでも酒が買えるわけではないらしい。

夜は近くの店でブリヤニーを食べたいと思ったが、何と売り切れだった。仕方なく別の店を探していると、何となくうまそうな匂いがしてきたので、そこへ入る。コトゥロティという食べ物を注文してみる。これはロティを刻んで、肉や野菜を一緒に炒める物で、ちょっと中華的な雰囲気がある。ピリ辛で美味しいのだが、一人が食べる量としては、多過ぎ、腹が異常に膨れた。チャイも飲んで暗い夜道を退散した。

宿に戻ると、ロビーに白人など数人が座り、ビールなどを飲んで楽しそうに話していた。挨拶だけはしたが、その輪に加わる気力がなく、早々に部屋に入り、寝てしまった。翌朝起きだしてみると、ちょうど女性が部屋から出てきたのだが、なんと彼女は日本人の一人旅で、昨晩から私が日本人だと気付いていたらしく、『おはようございます』と言われたのが、とても新鮮だった。そろそろ疲れがピークに来ていた。彼女はリプトンとシートに向けて出発した。既に私より多くの情報が頭に入っていた。

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