スリランカ紅茶の買付茶旅2016(6)茶業の問題点

茶業の問題点

もう1軒、午前の間に回る。オールトン。もうここでは完全に自由人となり、テースティングルームにも入らずに、外を歩きだす。水供給プロジェクトで日本政府が協力しているとの看板が出ている。こんなところにも来ているのか。その向こうの斜面に茶畑が広がっていた。工場の囲いの外を歩いていくと、近くの茶園で茶摘みを見学することができた。ヌワラエリアのように観光客に慣れた茶摘み女性ではなく、実に素朴な感じでハニカムのがよい。茶業はこのような重労働をするタミル人によって支えられていることをこれまで何度も垣間見てきた。この労働力は無限なのだろうか、それがスリランカ茶業の1つの課題ではないのだろうか。

そんなことをYさんに話していると、すぐ近くにあった茶園労働をするタミル人が住む村に入ってしまった。ここにもヒンズー寺院があり、南インドから100年以上前にやってきた人々が伝統を守っていた。Yさんはスルスルとこの村に溶け込み、おじいさんを捕まえて、話を聞き始めた。『自分の爺さんの代からここに居るんだ。ここの茶園で働いた労働者は終生ここに住んでいられるよ。決してきれいではないが、生きていくのは十分だ』とにこやかに話す。

だが『息子はここを継いで、茶園で働いているが、孫たちは皆コロンボへ行ってしまったよ』と悲しそうな顔になる。これが茶園の現状ではないか。尚息子が茶園で働かなくても、お爺さんが生きている限り、家族はここに住むことができるようだ。これは茶園側にとっては、色々と負担が多いのではないかと推察した。

幼い孫を連れた女性もやってきて、恥ずかしそうに写真に収まってくれた。『この子が茶園で働くのかどうかは全く分からないね』という。茶園経営から見ると、労働者は不足する、勿論給与も上がっていく、そして終身雇用のような老後の負担も出てくるので、これまでのような安価な茶業は既に難しくなってきていると思われる。とは言っても現在の賃金だけでは食べていけない家もあり、余暇に野菜などを植えて、副収入としているらしい。若者はこれほどの重労働に耐えていくより、都会に出て簡単に稼ぐ、という発想になるのも分るほど、茶摘みや茶園労働は厳しい上に、低賃金だということだ。今後は機械化が進んでいく、ということになるだろう。そこで茶の品質が落ちてしまえば死活問題だ。

茶園訪問と言えば、茶工場へ行き、テースティングをして、周囲の環境を満喫して終わり、というのが普通かとは思うが、実際にどんな人がどんな環境で働いており、その問題点はどこにあるのかを考えることも重要ではなかろうか。私は常にそんな視点で物を見ており、茶畑を訪問している。今回直接労働者の関係者と話ができたことはとても有意義であった。労働者の視点、経営者の視点、そして消費者の視点、今回はとても考えるところが多かった。今日も茶畑には茶の花が咲いていた。

そこから車で30分。何だか欧米人のバックパッカーが歩いている街に来た。聞けば、スリランカ随一の聖地、スリー・パーダ、別名アダムスピークに上るための拠点となるナラタニアという場所だった。アダムスピークは仏教徒にとっては仏陀の足跡のある場所、ヒンズー教徒はこの足跡をシバ神のものだと主張し、キリスト教徒やイスラム教はここをアダムが降り立った場所としてそれぞれ聖地としているそうだ。聖地の共有化、初めて聞く。こんな場所が世界にあるなんて。スリランカは仏教国だという頭が日本人にはあるが、ここに来れば、多民族国家であることが一目でわかると言われた。スリランカ中から巡礼者が訪れ、賑わっているらしい。この辺に、ゲストハウスが多い理由が分かった。

実際に2回上ったというルアンさんに聞くと、『階段は何万段もあり、とても疲れる。基本的に夜中に数時間かけて上り、ご来光を拝んだら早朝下山する。でも途中でリタイアする人も多い』ということだった。夜中に階段を上るのはちょっと怖い感じだが。子供たちの遠足?の場所にもなっているようだ。実際は遠足ではなく、巡礼、各宗教の理解を深める、祈りを捧げるためらしい。ちょうど車を降りると、アダムスピークがくっきり見えた。思わず記念写真を撮る。

午後1時過ぎだったので、適当にレストランに入り、ランチを取る。フレッシュジュースが飲みたくなり注文。ここまで体調が回復したことに改めて驚く。チャーハンと焼きそば、そして野菜炒め。腹が減っているのでバクバク食べる。食べ終わると、また外へ出て山を眺める。『山がくっきり見える日は限られている』とのことで、我々はここでも幸運であった。

また車に乗り、茶園へ向かう。今回最後の訪問地、ラクサパーナへは、30分ぐらいで到着した。天気の良い日の午後、腹一杯昼ご飯を食べてしまい、眠気すら覚えた。2日間で10軒の茶園巡りは初めての私にはやはり堪えていたのだろう。正直もうお茶の味は覚えていない。1260mにあるこの茶園、歴史は比較的新しく、1954年に創業、他の茶園同様、1972年に国有化された、という記述が見える。従来イギリス資本で経営されてきた茶園が国有化されたことはスリランカ茶業の大きな転換点だっただろう。イギリスはスリランカからケニアに拠点を移し、現在ケニアでは大量に安価な茶が生産されていると聞く。その品質も向上してきており、今やセイロンティを脅かす存在になってきている。

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