スリランカ紅茶の買付茶旅2016(4)初めていくディンブラの茶園

4.ディンブラ  ディンブラの茶園

午後の日程はまだまだ続く。これは結構きつい。私の旅はそこそこハードだと言われるが、今日は特にきつく感じられた。体調のせいだろうか。ヌワラエリアをあとにして、次の茶産地であるディンブラへ向かう。ディンブラとヌワラエリアは隣同士で距離は近い。30分でデスフォードという茶園に到着した。その茶園、名前が書かれたボードの脇から道が登っていたが、『道が悪いのでここから先は徒歩で行く』というルアンさんの言葉に全員が車を降りて、歩き出す。確かに道はかなりデコボコ、穴が開いているとこもあり、補修というものが全くなされていない。なぜこうなっているのか。

茶園はそんなに儲かっていないのか?実は他の茶園でもこのような状況のところがいくつもあった。『自分で直せるなら、とっくに直しているよ。とにかく茶葉の運送も大変なんだから』という声を聞き、なんだそりゃと、益々訳が分からなくなる。『スリランカの茶園の土地は国が所有しているところが多い』というのがその答えだった。それなら中国は当然そうだし、台湾でも茶園の撤収騒ぎが最近話題になっている。ただスリランカの場合、紅茶栽培は国の重要産業であり、国家のコントロールで行われていると言ってもよい。国が所有する土地の道路を勝手に補修することも出来ず、さりとて国の予算はかなり限られている。大きな道路の整備改修が優先されており、こんな小さな道まで手が回らないのが実情だろう。ようは金がないのだ。茶園が自らお金を出して補修したいと言ってみても、その認可はすぐにはおりないという不思議な現象もあるという。この辺は実に社会主義っぽい対応になっている。

まあそのお陰で、車から降りて、散歩がてら、気持ちの良い風に吹かれて、茶畑の中を歩いて行ける。その距離およそ1㎞。ちょうどよい運動であり、なんとも幸せな気分になった。茶畑では新芽が出ている物もあり、花が咲いている物もあった。かなり歩いていくと、遠くに茶工場が見えてくる。茶摘みが行われているのが見える。終わった女性が、籠を頭において、ゆっくりとこちらに歩いてくる。何とものどかな光景がそこにあった。ただクマさんの戦いは続いており、タラタラ歩いている我々をしり目に、どんどんの工場に突き進んでいった。

この工場は標高1385mと表示されていた。1936年創業、タラワケレというブランドで紅茶を販売している。先ほどランチで飲んだティバッグは何とここの製品だったのだ。その後もこのブランドは何度も見かけており、スリランカでなお馴染みのもののようだった。こちらでも我々の到着を待っていてくれ、すぐにテースティングが始まった。ヌワラエリアのお茶はいかにも高山茶という感じの香りがあり、茶色が薄かったが、こちらはどれもそれに比べると濃い目であり、香りというよりは味がしっかりしていた。『ミルクティ向きなんだよ』と言われて、なるほどと思ってしまう。試飲用の茶葉が少量、紙に包まれて置かれている光景が何とも微笑ましい。

ここデスフォードのお茶は、ここ2-3年で急速によくなっているという評価のようだった。やはりここもマネージャーが交代して、品質が高まったらしい。マネージャーとは一体何をしている人なんだろうか。工場長は別にいるのだから、茶の製造には直接かかわらず、経営をしている人、という印象を勝手に持っていたのだが、どうやら少し違うらしい。イギリスにおいてマネージャーという役職はある意味で全ての責任を負っている。長らく英国植民地下で紅茶作りが行われてきたスリランカは、この点で英国式の伝統を受け継いでいる。

だからマネージャーの権限は大きく、この茶園のすべてを負っていると言ってもよいかもしれない。スリランカの茶園はある意味で国策工場が多いから、マネージャーにもサラリーマンのように定期異動があり、ウバからディンブラへと言ったように地域を跨いで転勤になることもあるという。茶葉を摘むタイミングから、寝かせる時間、製茶の技法まで、マネージャーのやり方、考え方がその茶に現れてくるというのだ。そして香りや味に変化が確実に出る。実に面白い。確かにこの工場で作られたBOPはしっかりしている、という印象を私に与えた。

帰りもまたデコボコ道を歩いていく。来た時は、デコボコに思えた道が、なぜか平たく感じられた。そしてディンブラという、初めてきた土地に親近感を持った。ヌワラエリアは高地の優等生で、その価格も高い。一方ディンブラは一般的には一段低くみられており、ミルクティの原料という印象だったが、実は指導者や生産者によって、そこは十分に挽回できるものだ、ということがよく分かった。ホンのわずか離れているだけのこの2つの地域、やはり来てみないとわからない。今回の訪問ではディンブラが明らかに優勢だった。と言っても、それは私の勝手な感覚で、元々違うものを比較してみて仕方がない。昨年と比べてどうかという方が大切なようだ。

そこから30分ぐらい山道を行くと、そこにも茶園があった。駐車場に車を停めたが、その工場には入らない。既に時刻は夕方5時を過ぎ、徐々に日が傾いている。しかしなぜか皆タバコなどを吸っている。テースティングの準備でも待っているのかと思っていたら、なんとパジェロが迎えに来た。これから訪ねる茶園はここではなく、ここの山の上にあり、普通の運転では行けないので、迎えを頼んだことが分かる。そしてマネージャーが自らやってきたというわけだ。茶畑も急斜面にあり、短時間ながら相当標高が上がった。

グレートウエスタンというその茶園は、確かにすごいところにあった。茶工場の階段をのぼり更に2階へ。そしてテースティング。ここで面白かったのは、室内に茶葉が置かれていたのだが、それは白茶を作っているところだった。インドでもホワイトティと言って、白茶を見たことがあるが、ここではシルバーチップという目の部分が使われていた。更には烏龍茶も作ってみたというのだ。飲んでみると正直、味も香りもまだまだだと思われる。クマさんがポイントをアドバイスしており、マネージャーは真剣に耳を傾けていた。

そして紅茶の粉末を固めてコインの形にした物まであった。そのデザインは100年前に実際に作られたこの茶園のものだという。この茶園も創業は1880年となっている。従来のやり方ではじり貧になるという危機感があるこの茶園の試みは、基本的にコロンボのオークションに出荷してそれで終い、という従来の茶園経営からはみ出しているかもしれないが、今後の参考になることは間違いない。

ついに今日のすべての日程が終了した。1日で茶園を6軒回る。それがどんなに大変なことか、身を持って体験した。クマさんは1年に1回、これを続けて20年近くになるようだ。好きでなければできないが、好きなだけでもできないと思われる。これはあくまでもビジネス、出張なのであり、私がやっている茶旅とは根本的に違うのである。だがそこに同行させてもらえたことは、いくつもの新たな発見を私にもたらしてくれた。

グレートウエスタンから車で1時間ちょっと、既に暗くなった山道を走っていくと、そこに瀟洒なロッジがあった。ここが今日の宿だった。部屋は広く、如何にも別荘という感じだった。食事も中のダイニングで頂く。我々は到着が遅れたので、ルワンさんがすでに食事の手配をしてくれていた。この時点ですでに私は、体調を気にしなくなっていた。驚くべきことに完全に復調してしまっていた。そして肉も野菜もバクバク食べて、全く問題がなかった。今日1日、尋常でない疲れがあったはずなのに。しかも朝は絶不調だったのに、私の体に何が起こったのだろうか。ある人曰く『茶園が心も体も健康にしてくれる、そういう効果が茶にはあるんだ!』と。

このロッジはある銀行が保有しているらしい。昔はイギリス人の別荘だったのだろう。山の中なのにネットもサクサク繋がる。でもそんなにPCに前にはいなかった。クマさんとルアンさんは、リビングに当たる場所でゆっくりとお酒を飲んでいた。そんなことが絵になる場所だった。そして何よりも涼しい。気持ちが徐々に静まり、周囲の静けさも相まって、大きなベッドで心地よい眠りに就いた。

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