スリランカ紅茶の買付茶旅2016(3)残念なヌワラエリア

ようやく朝日がまぶしくなった頃、RAXAWAを辞して車に乗る。周囲の茶畑も輝いて見える。それからキャンディ市内の湖の脇を通過して、約2時間後にロスチャイルドに到着した。ここは日本でも名前を聞く有名茶園。1839年に研究所が置かれたと書かれているが、これはちょっと早すぎないだろうか?スリランカ紅茶の初期からある。ちょうど摘み取られた茶葉が運び込まれてきて、活気が出ていた。茶葉は少し大きめで、色が鮮やかだった。生葉、という雰囲気がよく出ている。茶園の朝、という感じだった。

ここでもすでにテースティングの準備は終わっていた。全て凄腕ルワンさんのアレンジによる。今日は何と1日で6軒の茶園を回るというのだから、これぐらいしないととても回り切れない、ということだろう。このテースティングに使う茶葉の量を計る秤が実にレトロでいい。マニア垂涎の的、ではないだろうか。勿論欲しいと言っても譲ってくれるとは思えない。台湾や中国では今や機械で測るのだが、こちらの伝統的な雰囲気を良しとしたい。因みに試飲した後に吐き捨てるツボ?も何となく格好がよい。

ここは伝統的な工場だったが、1992年にCTC専門に転換したという。これはキャンディの茶葉が衰退していった時期と重なるのだろうか。ここではBPがいいな、と思った。またダストはパウダーミルクを入れてキリテーを作るとどうか、という基準で選定が進んでいた。私には全くわからない分野だ。茶葉を販売するだけでなく、喫茶としてお茶を提供するクマさんにとって、店で出すお茶も重要になってくる。またワッフルとの相性などにも頭が巡っているかもしれない。このような感覚が、紅茶の普及に貢献していると思うのだが、中国茶・台湾茶には店で出す茶、という発想はあるだろうか?はたまた日本茶にはそんな考え方すらないのではないか。

まだ午前中だが、ヌワラエリアへ移動する。途中道端でYさんがルアンさんに何か言って車を停めた。良質のハグル(孔雀ヤシ)を買うのならここだ、という。そこでは既に出来上がって、木のお椀に固まり付いたハグルが売られていたが、Yさんはそれには満足せずに、ズカズカと家の中に入っていく。するとまさに現在制作中のものがツボで煮られていた。まだ固まっていない柔らかな物を買う。1つ、400rp。食べてみると、見た目と違い甘さは控えめ。これを舐めながら紅茶を飲むと美味しいというのだが、どうだろうか。

3.ヌワラエリア  ティブッシュでランチ

キャンディから標高の高いヌワラエリアへは車で2時間ぐらいかかる。途中でランチを食べると言って車が停まった場所は実におしゃれなレストラン。ティブッシュという名前で、宿泊施設もあるようだった。建物に入ると、向こう側の大きな窓の向こうに、茶畑が見えていた。景色がとてもよい場所だ。レストランは2階にあり、登っていくと、客は殆どが中国人の団体ばかり。まあ、それほど煩くはなく、行儀の悪人もいなかった。食事はビュッフェスタイルで、中国人が食べやすそうな、中華系料理も並んでいた。団体さん用というのがちょっと残念。

なんだか昨晩に比べるとかなり元気になっていた私、腹が減っていたが、ここで大食いは禁物と自分を戒める。実は今朝は6時半にホテルを出たため、朝食はランチボックスでサンドイッチとバナナだったが、ほぼ手を付けていない。水も飲まないようにして、体調を整えていたが、美味しそうな野菜スープがあったので、よそって飲むと、これが想像以上に美味しく、すぐにお替りした。そしてパンを食べ、野菜炒めや焼きそばなどにも手が伸びた。ついにはデザートとして禁断のフルーツにまで。自分でも大丈夫かと危惧したが、なんとその後も問題がなく、体調はどんどん回復していった。これは『茶畑を見ると元気になる』というお茶効果だ、と言う説あり。

食後は少し周囲を散歩した。と言っても建物の周りをまわり、広大な風景を眺めただけだったが、心もかなり回復してきていた。やはり素晴らしい景色を眺め、美味しいと思うものを食べ、そしてお茶を飲めば、病も癒えるということか。因みに紅茶はディンブラのティバッグだったが、先ほどキャンディであれだけお茶を飲んだのに(実際には口に入れて吐き出してはいるが)、これも美味しいと感じてしまう。

ヌワラエリアの茶園

食事を終えて出発。1時20分頃、コートロッジに到着した。ここは一時日本人に騒がれ、有名になった茶園だそうだ。標高も2300m近く、かなり涼しく感じられた。クマさんは過去の相性が悪かったそうで、数年ぶりの訪問だったようだ。買付に来るタイミングとよい茶ができているタイミングが合っていないといくら良い茶園でも、買付できないという。何も知らない私はもちろん初めて。ここでも予めテースティングが用意されており、すでに試飲が始まった。だがあれ、と思うぐらいに、すぐに終わってしまい、私がモタモタと試飲している間にも、クマさんたちは外へ出てしまい、マネージャーと何か話している。タバコでも吸いに行ったのだろうか。

どうやら特に特徴のあるお茶には出会わなかったようだ。キャンディでは『今年のお茶は出来が良いな』と感じていたようで、それならばと、ヌワラエリアのお茶には更に期待が高まったが、その期待が外れてしまった、という感じらしい。当然ヌワラエリアのお茶の価格は高地のため安くはないので、購入しても捌けない可能性が考慮されていた。そうなるともう用はなく、さっさと立ち去る以外に道はなかった。何とも厳しい世界だ。

続いてペドロに向かった。標高1900m、1885年創業の老舗で私は4年前もここを訪れていた。その時の印象はかなり良く、茶畑が広がる景色も素晴らしく、お茶も美味しかった。その時は車で裏から入ったため、労働者であるタミル人が住む住宅やヒンズー寺院も見て、スリランカ茶を支えている物を見た思いだった。工場や喫茶ルームは相変わらずにあったが、そこで売られている物にはちょっと違和感があった。よく見ると、ペドロというブランドは完全に消えていた。聞いてみると、現在はマーブロックグループの傘下に入り、茶工場として機能しかなくなっていた。製品としてはマーブロックという名前で売られている。これはなんとなく残念だった。

テースティングルームには沢山のお茶が並んでいた。ペドロのお茶を飲んでみたが、4年前ほどの美味しさは感じられなかった。マネージャーが交代した、という話もあったし、企業の傘下に入れば経営方針も変わるだろう。天気が良かったので期待していたが残念ながらここも外れのようだった。むしろ遠方のために行くことができなかったウッタダルラのサンプルがここに持ってこられ、一緒に試飲したのだが、こちらの方が良い印象を受けた。ヌワラエリアの茶園は2つしか回らなかったので、茶葉入手は別の方法を考えるらしい。

疲れたので、喫茶ルーム、ラバーズリープでお茶を飲む。以前は沢山いた観光客も減っているようだ。ペドロの歴史が示されていた展示物も撤去されており、寂しくなっていた。スリランカ紅茶の父、と言われるジェームス・テーラーゆかりの茶樹を起源としているこの茶園は今後どうなっていくのだろうか。スリランカにおいてはマネージャーの交代が大きな節目になるようで、次に期待、ということだろうか。

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