ナムサン茶旅2016(3)ヤンゴンで台湾人と

H君が連れてきた台湾人も実は大学生、21歳であり、初めての海外旅行がミャンマーだという。それも一人旅。これまたすごい。彼も到着後すぐにシムを買い、ネットを駆使して、ヤンゴンの旅を毎日楽しんでいる。これがあればなんとかなる、という言葉は印象的だった。今回はヤンゴンだけ、2週間いるというのも日本の大学生とは行動が違っている。父親の友人がこちらでパン屋を開業しており、そこに居候しているらしい。ヤンゴンでは今、パン屋も急激に増えている。美味しいパンを食べたいというお金持ちのニーズに応えて、店は繁盛しているらしい。オーナーの台湾人は、以前にはパン作りの経験もなく、完全に異業種からの参入。高給を払って台湾からパン職人を連れてきて、開業したらしい。儲かりそうな仕事があれば、あまり考えずに、まずやってみる、いかにも台湾人らしいやり方だ。

 

ヤンゴンで台湾人と

夜もH君に誘われて、付いていく。タクシーでダウンタウンへ行く。タクシーに行き先を告げていたにもかかわらず、細かい道はわからないと、途中で降ろされる。かなり暗い道に入る。この辺りは100年前に建てられたビルが並んでおり、ちょっと古い映画の一場面のようで怖い。

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なんでこんなところへ来たのだろうか?なんとその一角に、おしゃれな日本料理屋があったのだ。ヤンゴンではここ数年、日本食レストランが急増しているとは聞いていたが、こんな場所にもあるなんて。しかもオーナーは日本人だという。相変わらず、アメージング、ミャンマー!

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店内は1階にカウンターなどがあり、2階にもテーブル席がある。我々が2階に上がると、そこには台湾人が2人待っていた。今晩はヤンゴン台湾人の会だという。現在ヤンゴン在住台湾人は2000-3000人で日本人と変わらない数らしい。なんでここにH君が参加するの?彼のキャラクターが様々な人脈を生み出していることがよくわかる。さすが元ヤンゴン駐在員、そして現駐在員。日本人の一般駐在員もこのような会合に積極的に参加するのが良いと思うのだが。

 

待っていた二人は母子であった。若い娘はカメラマンであり、ヤンゴンの英字フリーペーパーに写真を提供するなど、当地で活動していた。ミャンマーのかなり奥地にも入り、その風景をカメラに収めていた。母親はそんな娘を見に、わざわざやってきたらしい。そういえば2003年、初めてミャンマーに来た時、日本人の姿は多くはなかったが、台湾人はたくさん見た記憶がある。仏教徒である台湾人が、朝早く僧侶の托鉢のために、ご飯などを用意していた姿が思い出される。

 

そこへ香港生まれ、台湾育ちという男性がやってきた。彼は普通話、台湾語、広東語、英語、そしてなんと日本語まで話した。更にはミャンマー在住2年程度で、普通にミャンマー語も使っている。確かにたまにこんな華人を見ることがあるが、やはりなんとも驚いてしまう。語学の才能というか、多言語環境が生み出す人材というか、正直どうやっても到底及ばないとわかる。

 

彼は現在ミャンマー国内で、通信の基地設置を担っている外資系会社に所属している。まさに昼間感じていた、ミャンマーの携帯の急速な普及にかかわる仕事だった。ミャンマー市場の現状を聞くと『ミャンマーの通信事情にはかなり問題はあるが、テレノールの契約件数は1300万で、すでにMPTの1200万を抜いているね。オレドーはかなり遅れており、やばいかも』ということだった。そして基地局の設置は急激に進んでおり、さらに便利に、繋がりやすくなるだろう、という。

 

昨年11月の選挙で、スーチーさんが勝利したが、それについて彼らの意見を聞いてみるとやはり『当面の混乱』という言葉が出てくる。『現政権はなんだかんだ言っても、経済成長、様々な改革を推進した』と一定の評価がされており、一方今度の政権には国政を担う能力があるのか、そんな人材がいるのかという疑問がある上、当然反対勢力からは、様々な妨害があるだろうから、何か事を前に進めるのも大変だろうとなる。それはビジネスをしている人々にとって、決してプラスの話ではない。政治はきれいごとではないだろう、という。特に外資系に対する新政権の出方は、かなり不透明で、新規事業は様子見となっているらしい。

 

この店では本格的な日本料理が出てくる。刺身、てんぷらから、コロッケ、ポテトサラダまで、海外で食べるには十分な水準にあるが、それなりの値段がする。台湾人も日本食が好きであり、このような会合がある時は、日本食を選ぶ傾向があるようだ。『美味しい台湾料理もあるにはあるが』というので、次回はぜひヤンゴンの台湾料理屋へ行ってみたいと思う。

 

帰りは、途中までは車で送ってもらうが、TTM家はとても遠いので、そこからタクシーを拾った。SSが書いてくれたミャンマー語を頼りに、料金交渉をして、なんとか車に乗り込む。しかし外は真っ暗だった。果たしてたどり着けるのかとても不安だったが、携帯シムのおかげで最悪の場合、連絡が取るのが心強い。これも基地局普及のたまものだ。素晴らしい!

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家の敷地内に入ったが、夜が遅いため、いつもの門は締まっており、正門から入るともうどこを走っているのか、わからなくなる。住所や番地はあっても、外が暗すぎて、読むこともできない。警備員などに聞いて、何とか進むうちに見慣れた光景が出てきて、ようやくたどり着く。まだまだヤンゴンといえども、明るいとばかりは言い切れない。それでも数年前なら一人で外出するのも大変だったのだから、かなりの進歩といえよう。

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