茶の源流を訪ねるベトナム茶旅2015(10)ヤオ族の家先単

今朝は朝9時に公安を訪問した。何か怪しいことをしたわけではない。実は折角ここまで来たのだから、この場所の正確な位置を知り、周辺の村の情報も得るために、地図を入手したかったのだ。研究者としては当然の行動だろう。だがホテルでも村の中でも地図はどこにも売っていなかった。ホテルのロビーにかかっていた地図が欲しいといっても、ダメだと言われていた。中国でも辺境地区の地図は非公開になっているところが多い。公安の許可が必要だ。

DSCN8927m

ガイドが公安に聞いたところ、取り敢えず『公安まで来い』ということになったらしい。公安は村の真ん中にあった。何かの会議をしているのか、我々が珍しいのか、大勢の人が建物の中にいた。皆がこちらを見ている。招き入れられるのかなと思っていると、ガイドが出てきて、『帰るように』と言われたという。地図は外国人には提供できない、ということだ。では何でこんな面倒なことをしているんだ。この辺がベトナムの良く分からないところだ。

ヤオ族の長老を訪ねる

ホテルの後ろにはかなり立派な家があった。皆でそこへ入ったが、ヤオ族の長老の家は更に後ろだという。後ろの木造の家は古びていたが、風情があった。そして何より、入り口に中国の対聯と呼ばれる一対の紙が貼られていた。その内容は漢字で書かれている。しかもその字は新しい。最近誰かが書いたものと見受けられる。中国国内ならまだしも、現代のベトナムで漢字を見る機会は稀である。ましてや、この田舎で、しかも中国で言う少数民族の家なのだから驚きである。

DSCN8897m

向こうからお婆さんが、孫に介添えされて歩いてきた。伝統的なヤオ族の衣装を着ている。おじいさんも出てきた。我々の人数が多いのを見て、この家ではなく、新しい立派な家で話そうと、向こうへ行く。階段を上がった2階はかなり広かった。老人は昔ながらの家に住み、若い者は新しい家に住んでいる。

DSCN8900m

DSCN8925m

M先生は早速、質問を始めた。この一族はおじいさんの祖父の代に、中国からやって来て、ここで焼畑をしていたらしい。ただ先祖が茶を運んできたとか、雲南省から来たとかいった話はなかった。現在ここの家族は、四世代に渡っており、大家族と言える。M先生は突然、紙に漢字を書き、『これはあるか?』と紙を見せる。通訳していたガイドには何のことか分からなかったようだが、長老はちらっと見ただけで『あるよ』と首を大きく縦に振った。

DSCN8902m

DSCN8919m

 

我々見ている者は、ある意味で狐につままれたよう気分になる。一体M先生は何と書いたのか。それを見に行くと、『家先単』と書かれていた。それこそ、これは何だ?長老は息子に頼み、その家先単を持って来させた。大切に保管されているのだろう。そこにはやはり、漢字が書かれている。覗き込むと、全て漢字で名前が羅列されている、一種の家系図のようなものだった。誰の所にどこから嫁が来たか、などが詳細に記されている。この家の名字は『焦』というらしい。

DSCN8905m

M先生によれば、『ヤオ族は基本的にこれを持っており、漢字を扱う』という。長老は、簡単な中国の標準語を話すことも出来、これまたビックリ。しかも自分の父親から習った口伝だというのだ。漢字を書くことも出るのだろう。これまで中国に30年以上関わってきたが、これぞ目から鱗だった。そんな民族がいるとは初めて聞いた。当然漢族との関係が深いのだろう。

この旅の中でM先生から何度も『ヤオ族と焼き畑、そして茶の繋がり』について、教えを受けていた。なるほど、と頭の中では思っていたが、このような現実を突きつけられると、とてもリアリティを持って躍動してくる。歴史とはそのようなものだろうか。だから私は茶旅をする、そういうことだろう。本に書かれたことを一生懸命読むよりも、目の前の現実を見つめたい。

そしてヤオ族と茶について、少しでも考察を広げられればと密かに考える。日本でヤオ族に関する文献は多くない。ましてやヤオと茶についての本などない。M先生は研究の集大成として、現在この出版を検討しているという。失礼ながら、一日も早い出版を願う。そしてそこから、日本に仏教以外のルートで茶が伝わった可能性などについて、勉強してみたいと思う。

Uさんが突然、抹茶を立て始めた。いつの間に道具を持ち込み、湯を得たのだろうか。これもまた不思議なタイミングだったが、この家の家族は、皆面白がって飲み始める。だが、飲んだ後はほぼ無言だった。これまで飲んだこともないお茶、なかなか受け入れるのは難しいようだ。

DSCN8907m

中学生の孫娘は好奇心旺盛だった。Uさんと片言の英語で何とかコミュニケーションを図り、いつの間にかFacebookで友達になっていた。Uさんが日本語を使っても、翻訳機があり、Uさんも彼女のベトナム語が読める。ベトナムの田舎でも、今や普通にFBが使われている。そして彼女のFB上の友達は何と1000人を数えるそうだ。FBとスマホは我々の想像をはるかに超えて、世界を変えたかもしれない。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です