ミャンマー決死行(3)ヤンゴン 店長は23歳

店長は23歳

ホテルまで送ってもらい、しばし休息。夕方出掛けようと思っていると、何と大雨が降りだす。まだ雨季は終わっていなかったんだな。雷雨を伴う激しい雨に呆然。気を取り直して先ほどのHさんに電話すると繋がり、夜会うことになった。雨も何となく上がる。また外へ出た。

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もう一度スーレーパゴダの方向へ向かう。お互いが分かる待ち合わせ場所がさくらタワーだったので、ちょっと歩いて行く。先ほどの雨で道は一部洪水?となっていた。この辺は古い街で灌漑が出来ていないようだ。スーレーの先に行くと、凄く立派な植民地時代の建物が出てきた。この辺りはイギリスが溢れていた。これもまた新鮮。キョロキョロしていると時間が来てしまい、待ち合わせ場所へ。

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さくらタワーの外でH君は待っていてくれた。すぐにタクシーを捕まえ、彼の行きつけの店へ向かう。何と場所はチャイナタウン、そして私の停まっているホテルのすぐ横。驚いた、こんな所に夜は賑やかなエリアがあったのだ。外国人も沢山来ている。その内のもっとも流行っている1軒に入る。まだ6時前だが1階はすでに満員で2階へ。

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食事は多国籍、フレンチトーストにタコス、そしてハンバーグまである。意外だが、なかなか美味い。ハンバーガー屋のH君は早々にハンバーグを食べて、いい味出している、と評価する。とても研究熱心だ。

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H君は日本とマレーシア華人のハーフ、日本育ちで日本の大学在学中に台湾に2年留学した。中国語は堪能だと思うが、就職先は『初めからミャンマーで仕事をすること』が前提だったという。『他の国にもチャレンジしてみたくて』と若者らしい。同期入社の4人は全てミャンマーで違う事業に従事している。とてもユニークな会社なのだろう。

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いきなり初めての国、ミャンマーにやってくると、バーガー屋のビジネスの立ち上げが行われていたが、『もう一人いた日本人の先輩が突然会社を去りまして』ということで、開店したバーガー屋の店長になってしまった。人も採用し過ぎており、いきなり人員整理も行った。自分の右腕になる通訳も日本語の人から華人に替え、コミュニケーションを中国語で取っている。店にはシンガポールに留学した英語堪能なミャンマー人もおり、何とか回している、と笑う。

 

いや、しかしこれは大変なことだろう。私が38歳で日中合弁会社の日本側代表になった時、胃が痛くて仕方がなかった。『明日という日は来ないかもしれない』と思ったことも何度かあった。現地でビジネスを運営することは実に大変なのだが、一部割り切り、一部楽しみながらやっているように見えるところが只者ではない。華人の血が騒いでいるのかもしれない。

 

正直1号店は厳しい中でスタートしたが、既に2号店の計画があり、準備が進んでいるという。『店の立地が重要です。2号店は立地に自信があるので何とかやって行けるでしょう』と屈託がない。23歳で既にこのような経験を積む若者、将来が実に楽しみだ。思う存分、海外でやりたいことをやって欲しい、と願う。

 

10月31日(金)

高速道路で

翌朝は6時前に起きて、6時半から朝食時間より早く食堂へ行き、食事を取る。それから荷物を下ろしてチェックアウト。だが5階なのに、エレベーターは動いていなかった。これは困った、さすがに大きな荷物を持って階段を降りるのはしんどい。と思っていると、急に動き出した。中には従業員が乗っており、搬入作業をしていたらしい。

 

下ではTさんが既にスタンバイ、今日は彼の車でマンダレー経由、メミョーまで走る。今回の目的である北シャン州の山の中には一日では到着しないのである。ヤンゴン郊外、バゴーへ行く道を走る。まだ7時前だったのでラッシュに引っかからず、スムーズに進む。8月にやって来た郊外の学校を思い出す。

 

その辺りから高速道路ができていた。道はほぼ真っすぐで、車は殆ど走っていない。何とも快適な道路だが、運転する者としては、あまりに退屈ではないだろうか。何の障害物もなく、周囲に車もない。風景は畑が中心で民家もあまり見られない。聞く所によれば、突貫工事で作った道、ただまっすぐに空いていた土地を使ったようだ。時々川を通るが、その橋は補強工事がなく、トラックなどが通ると崩れる可能性があることから、ダンプ、トラックなど大型車の通行は禁止されているらしい。そこここで補強工事が行われているのは、出来たばかりの道路としては珍しい。

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高速道路ながら、人や牛も往来している。高速出口はそれほどたくさん無いようで、日本のように出口の表示は全く見られない。距離はマイル表示で、まさにマイルストーンが置かれているので、115マイル行くと、休憩所がある、という言い方になっていた。最初の休憩所で休む。予想外にきれいなレストランなどがある。私はチャイを飲む。Tさんが朝飯に麺を食べている。車はあまり走っていないのに、ここには意外に人がいる。どういうわけだろうか?まあ広々として駐車場に車がまばらなので、バスの乗客だろうか。

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それからひたすら、走る。途中真ん中付近でネピドーを通過した。ここには興味があったので、帰りに寄ってもらうことにした。しかし車にただ座っていると、結構つらい。何と足がつってしまった。歩く方が性に合っている。ランチは次の休憩所で取った。ミャンマー式におかずを選び、ご飯とスープ。まあこんなものか。

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ヤンゴンーマンダレーの高速道路全長約400マイルを8時間で走破した。そしてマンダレーからは懐かしいメミョー行きの山道を行く。この道は過去2回通っており、見覚えがあった。殆ど変っていない。ミャンマーの変化はごく一部なのだが、その一部が劇的に変わってしまったために、目を惹くのだろう。

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