夜7時前に昨日とほぼ同じ場所にある海鮮麺屋に行ってみた。ところが店内は満員、ふと一席空いたのでそこへ座ろうと思って入ったが、店員から「まずは注文」と言われ、ボードを見て「精緻黄魚麺」にしてみる。豪華という更に上もあったが、どんなものか分からないので、まずは中から。席は相席で、若者がエビの皮を飛ばしながら、懸命に食べていた。

この麺、凄く具材が詰まっていて、椀からはみ出している。魚以外にエビ、貝、白菜などがのり、スープは白湯かな。とにかく海鮮の味がしみ込んでいて実に美味しい。全部食べられないだろうと思っていたが、何と完食してしまう。まあこれだけ混んでいるんだから美味いのは間違いない。寧波で海鮮は鉄板なのだろう。

5月16日(金)寧波のお寺巡り
朝から雨の予報だった。それでも私には行きたいところがあった。天童禅寺。実は39年前寧波で3日待ったが車が手配できずに行けなかった寺だった。あの頃は郊外に行くのに車しかなかった(いや実はバスはあったのかもしれないが、外国人が乗る感じはなかった)。ところが今や車は呼べばすぐに来る。しかしそれでは詰まらないと思っていたら、何と途中までは地下鉄が通っているではないか。
鼓楼駅から1号線に30分ほど乗って宝幢駅まで行く。昨日もそうだったが、寧波の地下鉄は空いている。空いているのだが、何と若い女性が床にしゃがみ込み、座席にバッグを置いて入念に化粧を始めたのには驚いた。周囲の女性も驚いていたから、これは特殊なケースだとは思うが、東京の車内で化粧が始まったのはいつだったろうかと記憶を巡る。

宝幢駅に到着。かなり郊外の駅だった。ここで車が来るかと呼んでみるとすぐに来た。そして天童禅寺まで20分ぐらいかかったろうか。最後の方で山路を入り、気分が出てくる。確かにここにバスで来るのは少し難儀かもしれない。何となく小雨が降る中、天童禅寺に到着した。そこから少し歩くと、入り口があり、観光客は観光車に乗って寺へ登るらしい。


私は傘をさして歩いて上り坂を行く。ゆっくりと味わいたかったのだ。涼しい風がほのかに吹く中、人が少なく静かな参道を上るのは何とも良い。傘で手がふさがっており、写真も撮らないのが尚よい。39年前、もしここに来ていたなら、どんな風景だったろうかと想像するのが良い。

約20分で、仏塔が見えてきて何とか寺までやって来た。今から1700年ほど前に出来たという寺の紹介には日中の有名な僧侶の名前が沢山出てきた。雨がしとしと降る中、まばらな観光客に交じり、雨を避けながら歩いていると静かに僧侶がやってくる。その静けさがたまらなく良い。久しぶりにお寺に来た、という感覚になる。山に囲まれた古びた建屋、大仏殿を拝みながら奥へと進む。如何にも禅寺といった趣がある。



寺から離れて、仏塔に向かう。ここに来る観光客はいなかった。千仏塔の説明には栄西が59名の僧と共に日本から巨木を運び建てたとある。その塔は明代に消失してしまったが、この辺にも日本との関係が窺われる。本当に山の中にある寺、そして塔。修行の場に相応しい佇まいと言える。

帰りは雨もやみ、ゆるゆると下っていく。途中にこの地域から排出された状元の人々の説明がある。往時この地はかなりの文化水準を誇り、中国でも一流の地だったことだろう。下まで降りていき、また車を呼ぶ。車はすぐに来たのでホッとして乗り込む。次は阿育王寺に向かう。ここは39年前にどうした訳か連れて行ってもらった場所だ。

阿育王寺は大きく変貌しており、寺の入り口すら分からなかった。とてもきれいになっており、私の記憶とはまるで違っていた。2000年頃大改修があったらしい。僅かに仏塔が80年代にあったとある。文革から10年ほどでは、多くの寺が破壊に遭い、修復もままならない時期だったことに思い至る。折角やって来たのだが、サラッと見学して横の門から車で地下鉄駅へ戻り、宿の方へ帰る。


