5月15日(木)寧波散策
朝は気持ちよく目覚め、全自動でカーテンを開けると、そこには素晴らしい風景があってテンションが上がる。外へ出て、川沿いを散歩している内に、橋を越えて向こう側に行ってみた。寧波の外灘と呼ばれるエリアで、租界地もあり、古い建物、立派な教会も建っていた。ここはアヘン戦争後、五大通商港のひとつとして開港され、そこにイギリスやフランスが居住した場所だった。


寧波は元々海運の街、寧波商人は海運の他、銭荘などで財を成し、新興の上海へ流れていって一大商人集団を作る。川沿いには銭業会館も保存されていた。これが上海の繁栄にも大きく寄与し、更に食の世界でも上海料理の原型に寧波料理が強く影響していると思われるのは、興味深い。宿の方に戻ってくると途中に「海上茶路啓航地」という大きな碑があった。明州(寧波)より、茶が東南アジアへ輸出されていった、と書かれているが、これはいつの時代の話しなのだろうか。


一方この碑の説明には、唐代に最澄がこの港から茶種を日本に持ち帰ったともある。その確たる資料は存在するのだろうか。その先を歩いて行くと、「道元禅寺入宋記念碑」という碑も置かれている。鑑真も唐代にここから日本へ渡っている。寧波と日本の繋がりは深いが、その実態を勉強していなかった不明を恥じる。

ここから車を呼んで「寧波菜博物館」へ行ってみる。そこは「南塘老街」という作られた観光地の中にあり、非常に簡単な展示内容で、寧波菜について深く知ることは出来なかった。仕方なく老街を歩いていると「袁牧之故居」と表示があったので、その隨園別単を書いた袁牧の生家かと喜んで行ってみると、何と袁牧之という映画監督・俳優の家で非常に驚いて退散した。


宿に戻ってチェックアウトしてホテルを替わった。歩いてすぐの定宿、しかしやはり冷蔵庫が無い。一応訴えると部屋を変えてくれたが、いちいち面倒くさいの、私の中で定宿認定を取り消さざるを得ない。まあ部屋自体は外が良く見えて申し分はないのだが、スタッフは「とにかくホテル評価を最高にして」と何度も言う。

昼ご飯は近くのチェーン店へ行く。紅焼魚飯という文字に惹かれて入ったが、やはりファーストフード感満載。ただスタッフの感じも良く、静かで清潔、特に問題はない。米にこだわっているとの表示が何となく日本人には嬉しいし、実際他のチェーン店よりは米の質が良いように思われた。


午後は寧波博物館へ行く。ちょっと郊外にあり、意外と遠い。そしてご多分に漏れず、建屋はデカい。寧波の歴史に絞って見ようと2階へ行くが、それでもかなりの展示があり、驚く。しかも鑑真から始まり、最澄、栄西、道元、雪舟、朱瞬水など、日本ゆかりの展示がふんだんにあり、勉強になる。円覚寺の無学祖元、建長寺の蘭渓道隆などの名もある。これだけいれば、日本との関係が浅いはずもなく、明治期に日本に渡った人々も少なくはないだろう。日本に留学後アメリカで医者になった中国人女性もいたとある。


さすがに疲れたが、近くに地下鉄駅があると分かり、歩いて向かった。10分ほど爽やかな風に吹かれていたら駅に到着した。この付近は立派な市役所などがある新興地帯のようで、歩いている人はほぼいない。地下鉄はキレイで乗り心地も良い。乗客も多くはない。一度乗り換えて天一閣へ向かう。この付近は旧市街地の古い建物が残っており、38年前の雰囲気を残していそうだったが、残念ながら記憶には全く引っかからなかった。


天一閣にも観光客が多くいて、広い敷地を一周してすぐに出てきてしまった。ただ周辺を散策すると、古い仏塔や倉庫など、ちょっと写真を撮りたくなる風景が広がり、楽しい。宿の方に戻ると、繁華街も見られ、観光客と地元民でごった返すエリアもあった。ただ寧波ご飯を食べるためには出掛けなければならない。


