2月は海外に行こうと考えていたが、またお預けになる。それなら昨年もちょっと寄った島田へ行こうと考えた。連載もいよいよ最終回、こちらも折角なので新しい展開で沼津へ向かった。
2月13日(木)沼津の江原素六
何となくいつものルートで静岡へ行く気分ではなかった。今回はバスで小田急線に出ようと思ったが、ボーっと歩いていると何と近所のバス停ではなく、駅の方に向かってしまった。しかもバスはちょうど出たばかりで、空白を生む。今回はとにかくゆっくり行こうと思う。それが安全だ。
小田急線を何と3回乗り換えて、新松田という駅で降りる。普通であれば早い電車で小田原へ行けば済むのだが、JR御殿場線に乗り換えて、ゆっくりと富士山でも見ながら、考え事でもしようと思う。小田急の新松田駅からJR松田駅は少し離れており、駅前を歩くとレトロ感がある。

電車はちょっと遅れていたが、ホームには人がかなりいて驚いた。その多くが外国人観光客であり、富士山の写真を撮っていた。遅れた電車が到着し、何とか席を確保する。途中から富士山が大きく見えてくる。御殿場駅では10数分停車しており、そこでも写真を撮る。更に進むと本当に富士山がくっきり見える駅があり、プロ級のカメラを持った台湾人はそこで降りてカメラを構えた。


約1時間半で終点沼津に到着する。予約したホテルに荷物を置き、まずは昼ごはん。港の方まで歩く気力が無く、近所で三食丼を食す。まあ普通かな。それで元気が出て、地図を貰い、明治史料館という名前を見付けて港と反対方向に歩き出す。地図ではよく分からなかったが、何と歩くと30分もかかった。史料館近くの交差点には「江原公園」という表示があり、史料館にも「江原素六記念館」の文字が見える。


史料館を見学すると、沼津は明治維新前後に兵学校や医療機関が出来るなど、徳川家の静岡移転に伴い、多くの優秀な幕臣が移動してきた場所だった。その中でも江原素六の活動は後世まで語り継がれ、地名に残っていた。2階には江原が住んだ家まで再現されている。優秀な旧幕臣は中央に呼び戻される中、沼津のために尽くした姿勢は評価されている。

そんな江原の活動にとても興味を持ったので、史料館内の図書室で彼について調べてみた。以前より気になっていた積信社という、日本でほぼ最初の茶葉直輸出会社も江原が社長となっている。これは狭山製茶や佐倉茶の輸出と同じ時期だからかなり早い。だがより詳細な資料をここで得ることは出来なかった。

折角なので、江原の墓に行ってみた。さっきの交差点を曲がると、高尾山古墳がある。そこに「スルガ最初の王、ここに眠る」と気を惹かれるような文言に出会う。坂をずっと上っていくと左手に墓地があった。キリスト教系の墓が並んでいたが、クリスチャンだと聞いていた江原の墓は勿論立派ではあったが、意外にも普通の日本式だった。


更に登っていくと、江原素六先生記念公園がある。元々史料館近くになった公園をここに移転したらしい。周囲には茶畑があり、少し高くなったところに江原の立像が天を突くように建っている。思ったより随分歩いてしまい、かなり疲れたが、バスはあと1時間来ないので、歩いて沼津駅まで行くことにした。初日からかなりの難行となってしまい、少し後悔する。

宿に戻ってチェックインすると、フロントの若いにーちゃんが「明日10時までに鍵をフロントに持ってきてください」というので、私は連泊します、と答えると、何と「掃除するので」というではないか。最近の言葉遣いにあれこれ言う気は既に失せてはいる。それでもさすがに「掃除を希望する方は10時までに鍵をお戻しください、でしょう」と言いたかったが、歩き疲れていたので「嫌です」と言って去る。