関西散歩2025(4)鳥羽伏見の戦い

夕飯は紹介されていた「京都の町中華」の店を訪ねてみることにして、早々地下鉄に乗る。午後5時過ぎにその店に着いたが、何と満員御礼の大盛況。そして町中華と言いながらカウンター席もなく、店員も「満席です」と素っ気なく、待っている場所もなくて追い出される。

気を取り直して地下鉄に乗り、更に15分歩いて別の店に行ってみた。午後6時前だったが、寒さの中、10人以上が行列しており、諦めた。日曜日ということもあるのだろうが、京都の町中華がこんなに人気だなんて、全く知らなかった。無駄なあがきはやめて、宿へ戻ることにした。途中のコンビニでサンドイッチを買おうとしたら、何と「お好み焼きサンド」があったので食べてみる。何だか疲れた1日となる。

1月20日(月)京都の町中華

朝起きるとなぜか急にうどんが食べたくなり、京都駅へ駆け込む。地下にあるうどん屋で朝定食を食べようと出掛けたが、なぜかとりちく天うどんにしてしまう。店内は午前9時頃でもお客が多く、中には朝からビールを飲んでいる輩さえいる。女性も結構来ており、繁盛している。

今日はバスで伏見へ行こうと考えていたが、その目的地の寺田屋が、何と月曜日休館と気づく。さあ、どうしようか。取り敢えず伏見方面のバスを探したら、ちょうど出てしまったばかりだった。仕方なく近鉄に回ってみる。何となく竹田駅まで乗っていくとここが終点の電車だった。駅を出てみると地図があった。ふと見るとすぐ近くに鳥羽天皇陵がある。そうか、この近くで鳥羽伏見の戦いが行われたのかと思い至る。

鳥羽天皇陵は閑静な住宅街にあった。その近くは鳥羽離宮と呼ばれた一帯だったらしい。平安時代の院政全盛時代の遺物だというが、学校で習った記憶は出て来ない。近所には鳥羽天皇の息子である近衛天皇陵もある。崇徳、後白河も息子である。この辺りの人間関係は複雑だが、後白河を巻き込んで、保元の乱に発展する局面で登場していたと思う。

ちょっとテンションが上がり、そのまま城南宮へ向かう。駅から歩いて20分ぐらい経っている。ここは鳥羽伏見の戦いで薩摩の陣営があったところ、そして錦の御旗が登場した場所、と説明書きがある。「鳥羽伏見の戦い開戦の場所」とも書かれているのだが、一方もうちょっと先の鴨川のほとりにも記念碑が建っている。この小枝橋付近で戦闘が始まったらしい。そのすぐ脇には、鳥羽離宮内公園という名前の敷地もある。

かなり疲れたのでゆっくり歩いて竹田駅まで戻った。そこから近鉄で丹波橋へ行き、京阪に乗り換えて祇園四条まで出た。このルートは思っていたより早く到着できた。祇園付近をしばし散策する。やはり外国人観光客が路地まで入り、写真撮影などをしている。和装をしている人も多い。

祇園の飲み屋が並ぶビルの1つ、そこに平安、という店がった。ここが町中華で有名だというので、覗いてみた。12時開店とありながら、準備中の札が出ていた。その内煙が立ち始め、中から女性が出てきて、どうぞ、という。中には既にお客がかなりいて驚く。これが祇園か、と思ってしまう。お客さんは常連ばかりだろう。皆普通に中華の定食を食べていた。店内はスナックのような作りだ。

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