何とか予約した宿に着くと雨は止んでいた。今回の宿はちょっと古い感じだが、料金も高くなく、特に問題はない。ドリンクを買いに外へ出るとすぐに近所に丸亀製麺があった。ここはコロナ前に興味を持って入った和食チェーン店。当時と比べると、価格は1.5倍ほどになっていたが、久しぶりなので入ってみた。午後3時半でも店内に客は結構いる。肉うどんとおにぎりを1個で、12万ドン。偶に食べると美味しい。


それからコンビニでドリンクとお菓子を買って宿に戻る。1時間後に約束があったので、また外へ出た。歩いて10分ちょっとで到着したのは、レトロなカフェ。エッグ珈琲とも書かれている。ここで台湾人の張さんと会った。会えばもう話は茶歴史ばかり。さっきうどんを食べたので、トーストやフルーツを食べながら、いい雰囲気の中でずっと話し続ける。



実に有益な情報も得られて満足する。ただ途中でパスポートを携帯していないことに気づき、落としたのではないかとかなり心配になる。帰り道も道端をキョロキョロしたが、最終的には宿に置いたまま出てきてしまっていた。最近のボケ度合いが半端ない。これからはこういう心配も旅の中で増えていくのかと思うと、気が滅入る。

10月15日(火)ホーチミンの老舗茶荘
朝ご飯は宿についていたので、遅めの時間に食べた。安い宿の割には色々食べられてよかった。それから車を呼んで出掛ける。昨日張さんから『ホーチミンの古い茶荘をもう一つ見付けたよ』と聞いていたので、行ってみることにしたのだ。その茶荘は11区にあるという。昨日バスターミナルから来た道を戻っていく感じ。途中見慣れた5区を通過しても更に行く。

結局30分ほどかかって目的地に着く。車を降りると目の前が茶荘で、覗き込むと『いらっしゃい』という感じで、まるで友達のように老板が声を掛けてくれたので、ホッとして中に入る。怡發茶荘の郭鉄佛さん(1965年ホーチミン生まれ)に話を聞くと、彼の両親が1948年に中国の潮州から渡ってきて、当初は親戚など同郷人の茶業者の元で働いていたが、潮州でも茶業に携わっていたことから、2年後には独立、店を開いたという。

お母さんは90歳だが、とても元気でにこやか。華語は話さず潮州語だけなので、何を言っているのかは分からないが、一緒にいるだけでとても楽しくなってしまう人だった。これも華人の一つの特徴だろうか。戦後渡って来ての苦労、ベトナム戦争での苦労、その後の苦労(ご主人は20数年前に亡くなったらしい)があったはずだが、全てを幸せに変えてしまうようでこちらまで嬉しくなる。

郭さんは1990年代、台湾人がバオロックに茶園を開く時に、通訳として同行した経験があり、あの当時の茶業史に詳しい。色々な面白い話が聞けてラッキーだった。また潮州人と茶業については、興味深い証言が飛び出し、今後ちょっと調べてみようかと思わせるものがあった。今回の訪問はとても有意義なものだった。

茶荘の近くもやはり以前は華人が多かったようで、近所に2₋3軒お寺があったので、見学しようかと立ち寄る。ところがちょうど雨が降り出し、見学もそこそこに慌てて避難する。だが雨はどんどん強くなり、濡れ方もひどいのでGrabで車を呼ぶも、なぜか私のいる場所にやって来ない。以前もベトナムで起きた不具合だろうか。こういう時が一番寂しい。
