《広州お茶散歩 2008》(1)

2008年1月11-12日

2008年に入った。オリンピックの年である。ところが昨年後半より体調が悪い。北京も暖冬ではあるが、それでも寒い。南への心が動く。広州だ、そうだ広州だ、と心が叫ぶ。ここには茶葉がある。市場がある。名目は十分。いざ。

 

しかしなかなか簡単ではなかった。正月を日本で過ごし、戻ってきた初日、食事を終わって家に帰ると急激な体調の悪化。一晩中唸り通しで、死にそうな目に会う。以前も東南アジアに行く直前によく体調を崩したので、一つの儀式のようなものか??何とか苦労して体調回復に努めたもの、とても万全とはいえない状態で出発。

2008年1月11日(金)

1.広州
(1) 2つの再会
朝8時半の飛行機に乗る。北京の朝は寒い。今日も零下6度。あまり厚着で行くと荷物が多くなると思い、マフラーなどを家に置き捨て空港へ。しかし外へ出た瞬間後悔??それほど寒い!!

飛行機は順調に飛行し、11時半前には白雲空港に到着。直ぐにタクシーに乗り込む。暑い!!タクシーの中で1枚脱ぎ、また1枚脱ぐ。裸になりたいほど。24度とか??何とも嬉しい悲鳴。

今回のホテルは沙面。レトロな雰囲気という私のリクエストに対して、90年代前半香港60年会での知り合い、溝Mが自ら調査に足を運んでくれた。嬉しい。この溝Mは自宅が香港にあり、現在は広州で北京語を勉強している活発な女性である。

沙面は租界的な雰囲気を色濃く残す緑の豊かな場所である。ホテルは税関の招待所??海関会議接待中心という名前である。タクシーの運ちゃんも分かったような生返事であったが、結局は知らなかった。税関の横で下ろされたが、何とホテルはそこから200mも離れていた。長袖を着ており、汗だくで到着。

IMG_5155m

既に溝Mが待っていてくれた。こじんまりしているがなかなかよさそう。部屋もシンプルだが、広い。想定どおりの部屋である。これで298元は安い。ロビーに戻るともう一人の待ち合わせ人、Mちゃんがやって来る。

Mちゃんとは今回劇的な再会である。彼女は7年前の北京でのお茶会参加メンバー。当時は現役の学生で留学中。その後音信は途絶えていたが、やはり恐るべし、茶縁。話はこうだ。大学の後輩K女史と昔香港で同時期に駐在したS氏、この二人は互いにユニークなブログを更新しており、お互いを意識していたが面識は無く、二人を知る私が仲介の労を取った。この北京B級グルメガチンコ対決にもう一人上海より飛び入り参戦した人物が居た。K君である。4人で春餅を食べ、大いに語ったのだが・・・。

その後K女史が『K君の彼女って知ってます??昔お茶会に来ていたMちゃんですよ!!』と言うではないか。え、あのMちゃん、今どこに???当時既にK君と一緒に上海に居たMちゃんはその後K君の転勤で広州。同時に結婚して姓も変わったそうだ。7年ぶりに見たMちゃんはさすがに大人になっていたが、特に違和感無く再会。

(2)広州三大酒家
昼時である。先ずは腹ごしらえを。溝Mに調べてもらったガーデン式飲茶が出来るレストランへ向かう。しかしタクシーの運転手が煮え切らない??広州三大酒家の一つ、ばん渓酒家を知らない運転手は潜りではないのか??

このレストラン、茘湾湖公園の横にある、はずだったが、行ってみると何と改修中。看板だけが残る入り口から中を覗くと、庭園が辛うじて見える。噂ではここは国有経営であったが、倒産し、香港資本による再建が図られているらしい。大変残念ではあるがこれも時代の流れか。

IMG_5156m

 

平野久美子著『中国茶と茶館の旅』を見るとこのレストランは清の時代の貴族の社交場であった。民国以後は蓮根畑になっていたが、1957年に広州市が買い取って改修したとある。見所は湖を中心にした庭園と清朝の貴賓室を再現した迎賓室。是非見てみたかった。今後どのように再現されるのだろうか?? 

因みに広州三大酒家の残りの2つ南園と北園も経営危機で資本が変更になっている。南園は既に再建されたが、北園はその内再開されるという。北園の大きな庭の大きな木下でのんびりとお茶を飲んでみたい、と思うのは私だけだろうか??

そんな訳で食事は茘湾湖公園入り口のバン渓酒家の丁度反対側、園林酒家で食べる。きれいな内装のレストランで、庭は無いものの茘湾湖公園の庭を借景としている。残念ながら点心はほとんど無く、野菜や豆腐料理を頼んだが、味は??

IMG_5165m

お茶は広東ということで鳳凰単叢を注文。このお店、お茶の値段で席が2種類ある。高い方に行ってみたが、それでも一人10元以下。お茶の味もあまり期待できない。勿論毎日お茶を飲みに来る老人などはそんなに高いお茶を注文できるわけもない。安いお茶が手軽に飲めるということが1つのお茶文化なのである。 

(3)茶芸楽園 
今回の旅行に出る前に北京で高級茶芸師として活動しているYさんと何回か会っていた。彼女は香港に本店のある茶芸楽園とご縁があり、その広州の出先、中国事業を行っている皆さんとも親交があった。このお茶屋さんは北京の王府井にも最近出店している。

Yさんからはきちんとした紹介と所在の分かるHPも貰っていた。にも拘らず、事前の下調べをしない私の旅行スタイルは、結局紹介された人の携帯だけをメモっていたのみ。

広州滞在時間は僅か24時間、地理不案内な広州で茶芸楽園の所在を突き止めて訪ねるのは正直無理ではないかと考えていた。そこで昼を食べているレストランより取り敢えず電話を入れ、次回また訪問したいと申し入れることにした。

ところが、ところがである。電話に出た謝さんに所在地を聞くと何と『茘湾湖公園の中』というではないか??先方は『今どこに居るのか??本当にそんなに近くに居るのか??』と驚いて聞いて来る始末。これも茶縁のなせる業。このレストランを選んだ溝Mもこの偶然(必然)にはビックリ。Mちゃん共々、私の旅のスタイルと何かが起こる不思議さを理解してくれたようだ。

とにかく楽園に向かう。何と公園に入るのに入場料が掛かる。一人3元。窓口では茶芸楽園で使える入場券付クーポンも売っていた。公園の中は気持ちが良いほど緑に溢れ、大樹の存在がここの歴史を物語っていた。池(湖?)も大きく、午後の暖かな日差しを浴びて、輝いている。散歩している人々も実にゆったりとしており、北京の寒さを全て忘れられた。

IMG_5188m

お店の前には急須のモニュメントがあった。しっかりした建物を入ると改修中らしく、少し雑然としていた。案内を請うと店の奥に段差があり、下へ。そこは湖の面した絶好のロケーション。その横で謝さんが待っていた。

IMG_5172m

早速席に座り、お茶をご馳走になる。岩茶、肉桂を飲んでいたようだ。園主の陳さんもやってきて挨拶してくれる。非常に人懐こい笑顔が印象的。店内の改修を指示するなど非常に忙しい中、時々来ては話していく。

IMG_5174m

香港から広州に出てきたのは15年前の1992年。最初は蘭圃の中に最初に茶芸館を作るなど順調だったが。3年でそこを出て今の場所へ。台湾茶も最初は受け入れられなかったが、徐々に浸透。彼自身香港からの移民だという。今後もここに骨を埋める覚悟できている。

広州郊外には自前の茶畑も持ち、春にはお客さんを連れて茶摘に行く。茶芸教室も格安で開催しており(初級10時間で150元)、お茶が好きな人が増えればよい、という考えのようだ。湖に面した茶を飲む場所も拘りが感じられる。広州にいればしょっちゅう来る場所になるであろう。

 IMG_5182m

結局2時間ほどもいて、あれこれ試飲する。お土産に茶器のセットを貰ってしまったのには恐縮。改修の終わったこのお店を再訪し、次回は是非湖畔でお茶を飲んでみたい。

(4)芳村
夕方4時、茘湾湖公園の入り口に戻り、タクシーを捜したが、一向に見つからない。こんな時間にタクシーがいないなんて??どうやら広州では午後4-5時頃に勤務交代があるらしい。北京では考えられないこと。

20分待っても埒が明かないため、バスに乗ることに。溝Mはさすが学生だけあって、バスにも詳しい。地下鉄の駅までバスに乗ることに。バス代は2元で北京の1元の倍。北京はバスも地下鉄も安くして、交通渋滞を緩和しようとしているのだろう。

バスに乗ると広州で見たことがない風景が見られた。これまでは出張などで決まった場所しか見ていなかったが、庶民が住む下町を見ると広州もそんなに変化がないと思える。細い道の両側に小さな店が軒を並べている。活気がある。

その内に海珠広場という所に出る。旧正月の飾りを大量に売っている。その量は物凄い。中国中、いやアジア中からバイヤーが買い付けに来るらしい。広州は世界の工場、これを実感できる場所である。広場の中は小さな卸問屋が無数にあり、何から何まで売っている。

IMG_5194m

ようやくタクシーを捕まえて芳村へ。芳村とは広州最大のお茶市場がある場所。5-6年前も何度か訪れていたが、最近その規模が相当大きくなったと聞いている。夜6時で閉まるところも多いようなので急いで行く。

芳村に到着すると当初の市場は健在だったが、その横には巨大なモニュメントが出来ていた。更にその横には巨大な茶城も完成し、更には更には道の反対側に多くのお茶屋が軒を並べていた。その規模はもしかすると中国一ではないだろうか??

IMG_5198m

Mちゃん行き付けの岩茶のお店が最初の市場の中にあったので行ってみる。ここは雰囲気が昔と変わらない。日が沈む直前である。そろそろ店を閉めようかとしている所もある。何故かとても懐かしい光景を見る思いだ。

大紅袍と大きく書かれたこのお店、『武夷山岩上茶葉科学研究所』とある。この研究所のオーナーは武夷山でも有名な劉国英氏。岩上茶葉科学研究所は1998年に設立され、岩茶の品種開発、設備の開発、品質向上の研究を目的とする「試験基地」である。

店主は武夷山から出て来ていた。この人がまた早口で次々にお茶を出していく。本当に岩茶専門店で、北京の馬連道にあるようなどんな店でもプーアール茶を置いている、というような半端はない。そこが気に入っている。自分の信じるお茶を薦めるのが礼儀であろう、たとえ商売だとしても。

IMG_5199m

大紅袍を数種類頂く。こんな飲み方は北京ではしない。中でも北斗1号という懐かしい品種が気に入る。最近はとにかく軽めのお茶が多い。この品種も重くはないが、何となく岩茶らしい感じがある。また白鶏冠という独特に癖のある岩茶が好きであったのでお願いしたが、今は殆ど出回らないと言われてしまう。残念なことだ。確かに癖が有り過ぎると消費者には受けないのかもしれない。そして一部の信者が買い求めて在庫は常にない。

このお店も茶葉研究所の一つの出先であるとのこと。おじさんの奥さんのお兄さんがこの研究所の所長で有名人だという。場所は武夷山の空港の道の反対側だから誰でも分かるらしい。今度是非訪ねてみたいもの。そう言えば武夷山にも2000年12月以来7年行っていない。

7時近くになり、周りの店は殆ど店仕舞いした。トイレに入るために茶城に行ったが、こちらも閑散としていた。タクシーが捕まるか心配なほどであった。

 

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です