静岡茶旅2023(2)沢水加へ

大浴場で汗を流し、ゆっくりと休んだ。最近は長く歩くことが辛くなってきている。夜暗くなった頃、そばでも食べようとまた出掛けたが、検索で出てきたそば屋が2軒とも閉まっていたのでちょっと驚く。コロナはまだ続いているのだろうか。フラフラしていると開いている蕎麦屋があったので入ってみた。

磯おろしという名の花柄のような盛り付けのそばが何とも旨い。これはこの店のオリジナル商品だと後から知る。ついでにかつ丼をセットで頼んでいるので、かなり満足できる味と量だった。確か夕飯は軽く済ませるはずだったのだが、食べ始めると止まらない。これも良くない兆候だろうか。宿に戻ると、何と1階のスペースでドリンクが飲め、アイスが食べられ、更にはカレーまでセルフで食べられた。知っていれば外には出なかっただろうから、磯ちらしを食べるために伏せられていたようだ。

4月5日(水)沢水加へ

朝ご飯も思ったより充実している。これはもう完全にドーミインを意識した設定だと気が付く。もしこれで料金が安ければ今後使いたい宿だ。まずJRで藤枝駅まで行き、そこで今晩泊まる宿に荷物を預けた。なぜ藤枝に泊まるのか、は正直何かの間違いのような気がする。ちょっと頭に藤枝があったので、宿を予約してしまったが、ここからまたJRで菊川へ向かった。

昼頃菊川駅に着くと、ちょうどテレビ番組のロケをやっている。それを避けて何とかコミュニティーバスの乗り場を探す。駅前には牧之原開拓にも尽力し、初代静岡県知事になった関口隆吉の像がある。バスは以前丸尾原から乗ったことがあるが、料金は僅か100円で有難い。

やってきたバスにはやはり乗客はなく、運転手さんと話すが、私がこれから向かう沢水加の歴史については、特に知らないようだった。まあ地名があまりにも難しくて読めない、ということは誰でもわかる。そんな話をしていると上り坂になり、僅か10分で沢水加公会堂に到着した。この付近前回丸尾原まで歩いた時に通った道だと思い出す。

バスを降りると茶畑が目に入ったが、それほど多くはない。近所に大井航空隊洞窟というのがあったので、脇道を行ってみる。洞窟へは自然災害で通行できなくなっていたが、その付近には古い茶樹がかなりあり、その昔茶業が盛んだったかも、と思わせるものがある。ここは牧之原台地の入り口、道を登れば現在も広大な茶畑が広がっている。

そしてここは明治時代、茶業の先端だった時代がある。この地で活躍した山田治郎蔵という人のことが知りたくて来たが、今はその痕跡は何もない。治郎蔵は茶業を広め、機械の使用にも取り組み、佐倉産の炭を使って茶業の質を上げた人物。彼が作った茶業研究施設が、後の静岡県茶業試験場になったことを見ても、その先見性が分かるというもの。

村を歩いてみても古い家が見えるだけだった。途中に有名な洋食店があったが、残念ながら閉まっていた。その先に西宮神社がある。ここの脇に『入会地奪還記念碑』があって驚く。この地は明治初期、牧之原開拓に来た武士と地元住民が土地を巡り争った場所らしい。その中で死んだ、大谷内龍五郎という人の墓もここにある。明治という時代は、我々が思っているよりずっと複雑ではないだろうか。神社の周りをグルっと回ったが、それ以上の発見はない。

コミュニティーバスは1日数本しかなく、路線バスのバス停まで歩くとかなりある。ここはいっそ下りを利用して歩いて菊川駅まで戻ることにした。花粉症ではあるものの、気候的にはとても歩きやすい。途中所々に茶畑が見えて、何ともテンションが上がる。日本の春はさくらもあって、とても良い。

JRに乗って藤枝まで戻る。駅前の観光案内所で聞くと、藤枝にも茶町と呼ばれる場所があるというので歩いて行ってみる。徒歩約30分、途中川べりに見事なさくらが咲いている。その先は住宅街だったが、ポツンポツンと茶問屋の姿が見える。観光案内所では『Tea Seven』と呼ばれる、7つのお茶屋さんが藤枝茶を売り出していると言っていた。確かに小売り向けにお茶やお菓子が楽しめる店もあった。

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