《台湾茶産地の旅-2002年阿里山》

2002年3月 阿里山 石棹
(1)阿里山へ

ふと思い立って高雄に降り立った。何の当ても無く、行ったことがないという理由で嘉義に向かう。その夜関子嶺の温泉宿で『そうだ、この辺にも茶畑があるのでは』と思い、おじさんに聴いてみたが、『ここには茶畑は無い。』と一言で言い切られてしまう。

翌朝起きると朝ごはんがある。簡単な粥を食べていると隣で呼び込みおじさんも食べている。従業員と客が一緒に食べているのが面白い。おじさんが『茶畑に本当に行きたいのか?』と聞いてくる。行きたいと言うと、何と阿里山中腹の茶農家を紹介してくれた。これだから行き当たりばったりの旅行は面白い。

嘉義の駅前に戻り阿里山行きのバスを探す。探すまでもない。今は桜の花見シーズンで、多くの台湾人が山頂に向かうバスに乗っている。私はといえば、途中の良く分からない地名の切符を言われたとおり買う。確か103元。バスは満員の乗客を乗せて出発。平地の間に数人が下りた後は、ひたすら山道を登る。偶に観光客相手に農作物や飲み物を売る掘っ立て小屋がある他は、人影も見えない。何となく心配になる。私が行く石棹は何処にあるのだろうか?唯一の手掛かりはガソリンスタンドが見えたら降りろ、ということだけ。

隣のあばさんに聞くと未だ先だ、といっていたが、やがてそのおばさんも降り、不安で一杯になる。後ろの方では大学生の団体が花見気分で騒いでいる。あれ、と思った時はもう遅かった。ガソリンスタンドを過ぎてしまった。仕方なく、次で降りて電話してみる。電話には女性が出て、居場所を伝えると直ぐに迎えに行くという。勝手にしかも突然来た上にこれでは申し訳ない。

(2) 石棹

暫くするとボルボが停まった。おじさんが降りてきて私の名前を呼ぶ。お茶農家の人がボルボに乗っているところが台湾らしい。これが薛さんとの出会いであった。お茶農家には直ぐに着いた。農家というより、道路沿いのそしてガソリンスタンドの真ん前の民宿であった。因みに阿里山に登る道でガソリンスタンドはこの1軒しかないというのには驚いた。これが国営中国石油だ。この立地で1階でお茶販売、2階で民宿をやっている。

中に入ると薛さんの奥さんが暖かく迎えてくれた。早速お茶が振舞われる。これが独特である。香は高山茶であり、その上味わいが深い。忽ち気に入ってしまう。薛さんは私の為に昼の弁当を買ってきてくれた。どうやら隣のレストランで作っているらしい。これが又絶品。キャベツなどの野菜が新鮮なのか美味い。

食べ終わると又茶である。幸せな気分。そうして1時間ぐらい飲んでいたら、今夜は泊まって行くかといわれる。民宿だから気兼ねなく泊まれる。今夜は満員だが、何とか一部屋空けるという。おまけに今は茶摘のシーズン。薛家は今日茶を摘んでいないが、他家で摘んでいるので夜製茶現場を見に行けると言う。これは凄いことになった。

取り敢えず薛さんの茶畑を見せて貰う。車で5分。ここは海抜1,300mぐらいだが、この茶畑は見晴らしが良い。茶は2種類。珠露と金宣。畑は摘み取りを待つ茶葉がきれいに並んでいる。大陸の畑よりかなりきれいだ。手入れが行き届いている感じがする。

 

農薬はかなり厳選して使用している。袋を見ると日本製のようだ。また畑の至る所にスプリンクラーが設置されており、水不足に備えている。如何にも台湾的な自主改良だ。道の下側には、製茶場がある。薛さんは仕事があるのでそちらに向かう。私はこの景色が気に入り、1時間ほど一人でボーっとしてから戻る。

 

戻るとまた奥さんとお茶を飲む。奥さんに寄れば、茶摘は全て手摘みである。昔から摘んでいる近郊の女性が摘みに来る。ただ最近は女性の年齢が上がり、おばあさんばかりになってしまった。若い人はやりたがらない。日本の20年前と同じである。おばあさんだから能率は上がらない。休んでお茶を飲むことも多く、給与以外にお茶菓子、弁当も出さなければ来てくれない。早晩この体制では手摘みは難しくなる。大陸から安い労働力を入れたいところである。

日本人でここに来た人は他に一人だけ。台北から台湾人に連れられてきたようだ。外国人に慣れていないから、最初は私が何者で、何の目的か分からず戸惑ったとのこと。そんな話をしていると突然大型バスが停まり、大勢の人が降りて来た。一目で大陸の人と分かる格好だ。中へは入らず奥さんと何か話していたが、行ってしまった。聞くと雲南省から来た茶の視察団だという。但し多分に観光目的であり、茶の話を少し聞けば用が足りるという。最近この手の大陸人が多く来るという。大陸中国人が団体とはいえ、台湾は入れるようになったのはほんの最近のことだ。省や市の役人が物見遊山に来るのはよくある話しだろう。

(3)花見客
夕食は隣のレストランで済ませた。宿泊客が多い為、早めに行くように言われていた。しかし6時になっても誰も来ない。本当にこの民宿に客が来るのだろうか?

このレストランが又安い。昼の弁当は35元だったそうだ。夜は豪勢に100元を出したら、キャベツ炒め、鴨肉、スープが出て来た。インドネシアからのメイドが手伝っていた。裏で取れた野菜・メイドのコストも安い。

戻ってみると大勢のお客が着ていた。皆騒がしい。会社の旅行のようだ。十数人いた。に家族連れが1組。この民宿の1階はかなり広く、2つの大きなテーブルがあり、茶が飲めるようになっている。この客は特にお茶が好きで来た訳ではなく、花見に来たのであるが、そこは台湾人。皆ここのお茶を誉めながら、自分の話しを延々とやっている。

奥さんが私を皆に紹介してくれた。初めは、皆変な外人といった扱いであったが、その内打ち解け話に花が咲く。台湾の経済が悪いこと、大陸に行く人が多く、会社が移転するなど、あまり良い話ではないが、決して暗くならないのが良い。

製茶を見に行く話が出ると、皆も行くと言い出す。酒を飲んでいる訳でもないのに、何だか酔っ払ったように出掛ける。そういえば台湾人は何時も酔っ払っているように見えないこともないが。

 

(4)製茶
そうして皆で茶を飲んでいる間に薛さんは何度も茶農家に電話を掛けている。行ってよいかどうか確認しているのだ。結局夜10時に本日茶摘をした茶農家へ。私も誰かの車に分乗する。

行ってみると茶農家のおじさんもビックリしていた。まさかこんなに沢山くるとは思っていなかったのだろう。製茶場は広いので問題は無いが、皆がテンでバラバラな質問をするのには困ったろう。台湾人は好奇心が旺盛である。
私は反対に黙って発酵を促す萎調をさせている茶葉を見ていた。摘んだ茶葉を日中天日で干し、夕方から室内で萎調させている。その後揉んで出来上がる。その過程を全て見るには朝まで掛かる。この時期農家は何日かに一度徹夜になる。

大陸の茶農家に比べて勿論機械化は進んでいるが、基本はやはり手作業のようである。乾燥も機械の性能が良ければよいと言うものではない。時間を短縮することも出来ない。面白いものである。紅茶のプランテーションのように機械の流れ作業とならないところが良い。手作り感がたまらない。

皆写真を取り捲り、飽きてきたようだ。時計を見ると12時になっている。おじさんからは朝まで見て行っても良いと言われたが、流石にそれはお邪魔だろうと思い、残念ではあったが、戻ることにした。

(5)地震
翌朝私以外の宿泊客は早くに宿を出て花見に行ってしまった。起きると奥さんが朝ごはんを買って来てくれる。本当に色々と気を使わせてしまった。
最後にお茶を頂きながら、珠露を2kg買い込む。また奥さん特製の茶梅も買い込む。彼らは私が茶を買うと思っていなかったらしく、驚いていたようだ。ここまで来て、こんなに美味い茶を買わないはずが無いと思わないところが又良い。

帰りは又バスに乗る。当然のように時間通りに来ない。心配した薛さんは態々前のバス停に私を連れて見に行ってくれたが、その際下りのバスと擦れ違ってしまい、1本乗り損ねるハプニングもあった。しかしそこが又何とも微笑ましい。

 

嘉義に戻り、台南に向かう。実は台南の1つ前の駅に永康という駅がある。家内より土産を頼まれていた。それは何と永康駅の切符を買ってきて欲しいと言うもの。『蘇永康』これが彼女の最も好きな香港シンガーなのである。

永康駅は予想とは異なり、何も無い駅であった。丁度昼時で何か食べようと思ったが、レストラン1つ無い。あるのは工場だけ。駅前に土産を売る店があったが、そこのおばさんは『蘇永康』すら知らない。

午後台南市内を歩いていると担担麺屋がある。台南名物である。そのかなり古い店内で麺を食べていると少し揺れが来た。途端におじいさんとおばあさんが外に飛び出す。近年台湾では多くの地震があり、台北で建物が崩壊したのも記憶に新しい。

結局震度2程度であったので、気にも留めずにいたが、夜ホテルに戻ってテレビを見ると何と台北で建設中の101階建てビルのクレーン車が落下して死者が出ていた。阿里山は大丈夫であったろうか?最近台湾では地震と大雨が続き、お茶畑も土砂崩れなどで壊滅した地域もある。農業は自然との闘いである。品種改良に努めると同時に自然災害に対する対策も必要なのである。

 

 

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