《雲南お茶散歩 2006》景洪、昆明(5)

6.昆明2
(1)夕食
昆明に戻ると直ぐにF夫人に電話を入れる。ホテルで待っていると言われて急いで戻る。到着すると既にF夫人がいる。Fさんと友人も車で待機していると言う。一体どこへ行くのか??

Fさんは脊髄を痛めて車の運転を止めているので、友人夫妻に頼んで車を出してもらったようだ。大変申し訳ない話だ。5人で乗り込む。どうやら西の郊外へ向かっている。民族村の近くまで来たから結構遠い。ガイドブックでは南へ8kmとある。

道路脇を入るとそこには古めの普通の民家が並んでいる。そこが民家を改造したレストランになっている。珍しい。レンガ造りの御伽噺に出てくるような三角の屋根がある家だ。暖炉でもあれば北欧の小屋とも思える。部屋の中にテーブルがあり、5人で囲む。昆明料理が楽しめるらしい。雰囲気がある。外には池があり、ライトアップもされている。

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先ずはスープ。鶏がらのスープは相変わらず美味い。気鍋鶏という名前らしい??何杯も食べる。漢方薬が入っており、健康によさそうだ。日本でも絶対受けると思う。山菜炒め、から揚げ、玉子焼きなどが並ぶ。どれも美味しい。脂っぽくなく健康的な食べ物である。ここでもご馳走になってしまったが、料金は合計で120元ほど。信じられないほど安い。

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ここまで来る間の道路沿いには高級マンションが並んでいた。外国人や中国人の俳優、スポーツ選手などが購入していると言う。確かに気候は温暖、物価も安い、食べ物も美味しく健康的となれば老後の生活空間としては良いかもしれない。将来のロングスティ先の候補かもしれない。

実はQさんの友人で昆明に長期滞在している日本人がいるといわれていた。既に60歳を越しているが、昆明で事業をやっているそうだ。行って見ると今は重慶の日系企業を手伝っており、不在とのことであったが、お会いしてみたかった。きっと昆明のよい所を教えてくれたであろう。

(2)フライト変更
帰り掛けに何気なく、『明日の上海行きのフライトを早い時間変更したい』とFさんに相談した。明日の朝聞いてみればよいと思っていた。ところが今すぐ聞けるという。電話すると席は空いているのでチケットを持って事務所に行くという。今は午後10時。どこへ行くのだろうか??

何と現在の中国ではフライト変更サービスは24時間可能だ。オフィスは締まっているが夜間窓口が開いている。東方航空の夜間事務所に出向く。ところが私のチケットは日本で買ったものなので、変更は出来ないと突き返される。F夫人は少し意地になって『明日もやってみる』と言ってくれる。結構大事になってしまった。

しかし中国のサービスはどんどん進化している。銀行のATMもいつの間にか24時間、コンビにも増えている。日本でフライト変更が24時間出来ることはないであろう。銀行改革もなかなか進まない。将来住みやすいのは中国なのであろうか??

2月16日(木)
(3)携帯と本
雲南最後の日がやって来た。F夫人が朝からフライト変更に奔走してくれていたので、部屋でジッと待っていた。11時頃になって連絡があったがやはり変更は難しいという。とんだ手間を掛けてしまった。申し訳ない。

F夫人がホテルに来てくれた。また案内を買って出てくれたのだ。本当に申し訳ないが助かる。Fさんから借りていた携帯電話を返したいが、必要性が高いので自分の分を買うことにする。電気街のような場所へ連れて行ってくれた。店内には携帯の種類も豊富でノキア、エリクソン、ソニー、NEC、サムソンなど外国勢と国内勢が競い合っており、どれを選べばよいか分からない。

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しかし殆ど機能はいらないので、借りているものと同じ種類を探す。何と1年前980元だったというこの機種は現在480元。もうすぐこの機種の製造が中止となり、部品もなくなるものが出るということで値段が大幅に下がったそうだ。キャンペーンガールもにっこり。

続いて地元デパートに入っている本屋に行く。こちらは昔と変わらない本の並び。変わったのは出入り口に盗難防止の機会が配置されていることぐらい。国有デパートの将来は暗い。携帯屋と本屋。これは新旧の明暗を上手く現している。

流石にプーアール茶の本は多い。どれを選んでよいか分からず、先ずは茶馬古道やプーアール茶の産地について解説された本を選ぶ。あまり沢山買っても持って帰れない。日本では手に入らないものばかりだが。

デパートの横に茶餐庁があり、昼食を取る。香港では安くて手軽なファーストフード的な店であるが、昆明では流行のレストランである。店内もきれいで服務員もきちんとしている。サービス重視。値段はチャーハンやお粥が10元程度。ここの物価水準からすれば安いとはいえない。味はなかなか良い。

 

昼食後、腹ごなしに漢方薬市場に行く。タクシーでそこそこ走ったが、どの辺りであったろうか??人影が殆ど無い昼下がりの卸市場、店頭には冬草夏虫という虫の幼虫を乾燥させたような不気味なものもある。タツノオトシゴの干した物もある。勿論薬草なども豊富に取り揃えられており、その1つ1つに効能などが書き添えられている。昆明の人々は子供の頃からお婆さんやお母さんから漢方の効能を教わり、親しんでいる。そのまま持ち帰り、自分で煎じ調合して飲むらしい。

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(4)Fさん宅
先日昆明の茶葉卸市場を訪ねたが、北側にもう1つあると聞いていたので午後はそこへ行こうという。しかし私は我侭にもFさんの自宅を訪問したかった。何故なら彼はお茶を扱っている。彼のお茶を飲んでみたかったのだ。

彼らの自宅は昆明の北東部、なかなか立派なマンションであった。仕事があったFさんは自宅に戻ってきて待っていてくれた。部屋はいくつあるのか、相当広い家である。F夫人の両親も待っていてくれ、自慢の鉢植えなどを見せてもらい、非常に温かく迎えられた。F夫妻の長女と長男はピアノを弾いて見せてくれた。

いよいよお茶を見せてもらう。そこへ先日お会いしたFKさんもやって来た。わざわざ呼んでくれたのだろうか。Fさんの長男も加わり、4人で席に着き、茶を見始める。Fさんは現在店舗を持たずにインターネットでプーアール茶を販売している。中国中から注文が来る。代金回収にも問題がない。そうなのか、今は中国もそんなに進んだのか?感慨深い。

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ネット販売であるから、物凄い高級茶を扱うより普通の値段で質の高い物を選んでいる。孟海茶廠の沱茶、2003年・2004年版は確かに若干若いがリーズナブルな値段でかび臭くないプーアール茶を楽しめる。

1998年物の磚茶、こちらは竹の皮に包まれた一品。かなりマイルド。これまで北京や香港で20年物などと言われて飲んでいたお茶より柔らかい。透明な器に入れるとかなり濃い茶水、しかし何となく透けて見える。水面には薄く白い物が掛る。これは良いお茶だと思う。Fさんも偶然手に入れたようで、在庫も少ない。勿論二度と手には入らないだろう。

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孟海茶廠の工場長をしていた皺良炳さんが作ったお茶もある。FKさんは彼を良く知っているようで、彼のお茶を褒めていた。お茶作りの考え方が素晴らしいと言う。プーアール茶とはビンテージ物が素晴らしいのではなく、実はここ20年に製造された物がよいのである。

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ワイワイやりながら、次々にお茶を飲んで行った。気が付くと5時近い。もう卸市場に行く必要も無い。フライトは変更できなかった為、9時のままでまだ時間がある。Fさんも色々なお茶を紹介してくれる。FKさんも冴えた解説を繰り広げる。

(5)夕食
F夫人がやってきて、家族と食事を一緒にしようという。ご両親が気を遣ってくれているのが分かる。息子の知り合いが日本から来たのだから、何かしてあげようという気持ちが出ている。ご厚意に甘えることにする。

Fさんはバイクで、ご両親、F夫人、長女長男と私はFKさんのバンで移動する。場所は近所のレストランで簡単にするとのことであったが、到着したレストランは非常に立派であった。常に予約でいっぱいのお店で辛うじて1つ残った個室を取ったと言う。行って見るとまだ5時半だというのに、かなりのお客がいる。今日は平日だよなと思いながら、中国は何故かいつでも人が飯を食べている不思議さを思い出す。

食事はやはりスープから始まる。これが相変わらず絶品。何故どこで食べても美味しいのだろうか??食べ慣れてきた山菜の炒め物、地鶏と思われる鶏肉、子供達が大好きな餅のような物。1つ1つ噛み締めて食べる。

お父さんとは日本のことについて話す。息子を遥か彼方の日本に留学させた時の気持ちはどんなだったのだろうか??山西省出身というお父さんには子供の頃、若い頃、日本と何か関係があったのだろうか??

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お父さんは雲南省在住30年というが、いまだに基本的に北京語を話す。昆明語は聞いて分かるが話さない。私にとっては有り難い??ことではあるが、どんな事情があるのだろうか??短時間では知り得ないことが多い。いつか又再訪し、今度は色々と訪ねてみたい。

またまた大量にご馳走になってしまった。今回は本当に申し訳ないほどにお世話になってしまった。日本人にはここまでは出来ないだろう。しかし彼らには東京に来てもらいたい。どんな持て成しをするかはその時考えるしかないが。そしてQさん一族には実はまだまだお世話になるのである。それは上海で・・・??

いよいよお別れである。家の前でご両親と別れ、FKさんの運転でホテルに送ってもらう。そこで呆気なくお別れする。何となくだが、又必ず会う様な気がするのである。ホテルに預けた荷物を取ってタクシーで空港へ。もう慣れた道である。

空港で時計を見ると7時20分過ぎ。私のフライトは9時15分だが、東方航空にはもう一本前の7時50分発がある。ダメもとで聞いてみると既にチェックインは終わっているので荷物は預けられないが、席はあるという。昨夜からあんなに苦労したのに変更できなかったフライトが何の問題も無く、変えられた。不思議である。時間が無い。急いでイミグレを潜り、搭乗口へ。搭乗は始まっており、感慨に浸る暇も無く呆気なく離陸してしまった。

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