ふらっと四国茶旅歴史旅2022(9)高見島と丸亀城

高見島へ

観光案内所の女性が『茶粥は高見島』といったのが頭から離れず、とにかく高見島を目指すことになってしまった。案内によれば、高見島へ行くには、まずJRで2つ戻って多度津駅で下車。何とこの辺ではSuica使用可能。多度津駅前には少林寺拳法発祥の地の碑がある。駅でもらった地図を手掛かりに、古い町並みが保存されている地区を歩く。合田という一族が繫栄していたらしい。合田家の豪邸を見ても、多度津が江戸から明治にかけてかなり繫栄していたことは分かる。

駅から港までは徒歩15分。港で往復切符950円を買って乗り込む。小さなフェリーで乗客も数人だけ。老人に茶粥のことを聞きたかったが、このフェリーは他の島へも行くのでおいそれと話しかけられない。高見島に着いたが、飲み物を買うところもなく、自販機すらない。ひたすら歩くだけだ。

石垣の脇を登る。サンフランシスコへ移住した家があり、外からトマトが伝わったとある。実にいい感じの細い道が続き、鄙びた家々が連なり、そして青い海と空、石垣の集落。この世のものとも思えない風景、まるで寅さんの舞台だなと思っていると、やはり寅さんはここへ来ていた。『男はつらいよ 第46作 寅次郎の縁談』(マドンナ松坂慶子)にこの島は登場しているようだ。大聖寺という寺があり、その楼門は力士が柱を支えている。 

浦地区から浜地区へ移動してみた。島は大きくないので歩いて回る。途中お爺さんが家の前に座っていたので声を掛けると、まあ座って話そうと言ってくれた。茶粥については『茶粥なんて結婚してから食べたことない』とあっさり。更には『茶粥を食べなくなってから、島で胃が悪い人がいなくなったよ』という驚きの証言も飛び出す。基本的に番茶や麦茶を飲んで暮らしてきたという。茶粥は50年以上前に一般的には食べられなくなったと考えてよさそうだ。因みにこの島に食堂のようなものはなく、茶粥が食べられるのは島に一軒ある民宿だけらしい。

お爺さんの家の先にはお墓があった。これが珍しい両墓制(埋葬とお墓参り用に2つのお墓を設ける)。昔は土葬だったので、土葬の上に小さな小屋を作っていたが、昨今の台風で墓が流されてしまって荒れていた。先ほどのお爺さん曰く『今は島で死ぬ人はいない、皆町の病院だ』。

フェリーで島から戻り、駅まで走っていく。何とか電車に間に合い丸亀へ戻る。宿にチェックインして、疲れたので部屋で相撲を見て過ごす。6時に夕飯を食べに外へ出た。宿の近くでうどん屋を探したが、実はさぬきうどんも朝から昼に食べるもの。夜やっているのは居酒屋でその一軒でざるうどんと骨付鶏を食す。骨付鶏はうまみが出ていてよいが、ニンニクが非常に多く使われている。居酒屋なので、隣のおばさんが酒飲みながらタバコをふかすので、すぐに退散。

7月13日(水)丸亀城

今日も朝から暑い。朝ご飯を探そうかと思ったら、お城が目に入ってしまい、暑くないうちにと、登り始めたが坂が厳しい。それでも丸亀城天守閣まで登ると、とても涼しい風が吹き抜けてホッとする。これは入場料を払う価値がある。ただ階段はかなり急激で、木造なのでちょっと怖い。景色は間違いなく抜群。搦め手からするすると降りる。城の石垣は大規模工事だった。横の歴史資料館に入り、丸亀藩のお勉強。生駒、山崎、松平と続く藩主についての展示があった。

昨日歩いた商店街に、良さそうなカフェを見つけていたので、朝ご飯を食べようと向かったところ、まさかのお休み。何だかすごく焦って急遽他の店に走っていく。ちょうど居心地の良さそうなカフェが見付かり、一安心。ホットサンドセットとアイスティーは悪くなかったが、600円という表示が税抜き表示で660円取られたのは、ちょっと残念。更にタバコを吸う常連客がいて、またもやすぐに退散。

今日は仁尾へ行ってみる。昔栄えた港街だというが、今や鉄道も通っていない。詫間駅まで4駅。ここの駅でもなぜかSuicaが使える(詫間と観音寺のみ)。駅に着くと馬渕英里何と要潤が三豊市のCMに出ている。二人ともここの出身だという。

駅の横にある詫間駅観光案内所に入ると若い女性がとても親切に色々と教えてくれた。40分バスを待つ間、その辺をふらふら歩く。ここにも桃太郎伝説があるらしい。この辺りもコミュニティーバスが何路線か動いているが運賃100円は安い。30分ぐらい乗って行くと、一山超えて仁尾に入っていく。そして古い町並みが見えてくる。取り敢えず仁尾文化会館で降りてみる。

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