ふらっと四国茶旅歴史旅2022(2)台風の中、呉から宇和島へ

7月5日(火)台風の中、呉から宇和島へ

朝方何度も目が覚めた。何となく外で風が吹いているように思えたからだ。だが5時台に起きだすと風も吹いておらず、雨も降っていない。それでも心配になって、10時より前、7時半のフェリーに乗ることにした。そのため宿の朝食を6時半に食べに行くと、出張者たちで満員。慌てていたので食べた気がしない。

7時に宿を出る。雨は降っていないので、荷物を引いて波止場へ向かう。5分で着くのは有難い。フェリーは全て時刻表通り運行されていた。チケットもすぐに買えた。私が乗るのは予想外のクルーズ船だった。2時間、3500円、ジェットホイールだと6000円らしい(時間は半分の1時間)。クルーズ船がいないのは気になったが、広島からやってくることが分かり一安心。

船は思った以上に立派。基本はカーフェリーなので、結局歩いて乗船したのは4人(降りた人が数人)。船内も豪華な雰囲気でよい。一番前の席は景色が良く見えるし、充電もできる。他にも靴を脱いで寝転がれる板の間など、様々なシートがあったが、乗客が伴わず、何とも寂しい。外にも席があるし、車を停めている場所も外から見えている。もし雨に振り込まれた、どうなるのだろうか。

予想していたのと違って、フェリーはゆっくり進み、波一つ立たず、全く揺れることがない。最初の橋を潜り、泊まるはずだった音戸を横目に、するすると行く。これは瀬戸内だからだろうか。台風はまだ来ていないのか。いずれにしても、2時間の行程は、大海を行く感じではなく、何となく島が見えている状態。結局最後まで景色もそれほど変わらず、スマホもずっと使えていた。

ほぼ定刻に松山観光港に着いたのだが、この港が良く分からなかった。一番近い鉄道駅まで約1㎞、バスも走っていると書いてあったが、どこにいるのか分からない。というか、連絡は全くしていなのだろう。港到着10分後に高浜駅発の電車は出てしまう。タクシーに乗らない私は慌てて走り出し、何とか1分前に駅へ滑り込む。

だがSuicaは使えず、切符を買えという。焦ったが『大丈夫です。あなたが乗ってから発車させます』と駅員に言われて、何とか飛び乗る。実はもしこの電車に乗れなければ、この先の宇和島到着が3時間違ってくるから恐ろしい。

高浜駅から大手町駅380円で行く。そこから JR松山駅まで歩いて5分なのだが、親切な駅員さんは、『雨なら路面電車もあるよ』と教えてくれた。だが駅はそこに見えている。松山駅で乗車券だけ買ってホームに行く。各停の来る5分前に特急宇和島行が出ることが分かり、急遽特急に乗る。何とこの特急、高松方面行と同じホームの前の方に停車していたのだ。特急券は車掌さんから買った。これに乗るなら港からは知らなくてもよかったと後悔。

特急自由席に乗客ほぼいない。むしろ指定席の方が多いぐらいだった。雨は全く降っておらず、田舎の風景を眺めた。最後の方はミカン工場や倉庫なども見え、かなり山が見えていた。茶もできそうな雰囲気だ。1時間20分で宇和島に到着する。各停だと3時間かかるが、特急料金1200円を支払えば、時間は半分以下に短縮される。今や各停の本数はずっと少ない。

宇和島で

予想外に早く宇和島へ着いてしまった。まだ11時40分だ。宿は駅の上で荷物を置く。駅に観光案内所はなし。雨は降ってこない。台風はどこへ行ったのだろうか。ただ台風の影響でここから高知の方へ行く土讃線は既に一部区間が運休となっていた。それでもここから高知に鉄道で抜けられると知る。いつかチャレンジしよう。

取り敢えず宇和島城まで10分ちょっと歩いていくと、門の手前に観光案内所があり、そこで色々と聞く。すると突然雨が降り出す。しかし今更引き返せず、城へ入ったが、急な坂上りで滑る。城の石垣が残っており、坂も石なので滑りやすい。途中郷土館(無料)で疲れを癒し、ついでに伊達家の歴史を学ぶ。幕末の四賢人の一人、伊達宗城は良く知られているが、実は父親が長命で実権を握っていたという。

更にきつい石段を登り切り、何とか天守閣に到達する。見学料200円。ここの階段はもう本当に地獄。最後は喘ぎながら、這って上まで行く。だがその分天守閣からの眺めはとても良い。因みに江戸時代から現在まで天守閣が残っている城は日本に12しかないらしい。以下列挙する。

現存天守(12城)弘前城(青森県)松本城(長野県)丸岡城(福井県)犬山城(愛知県)彦根城(滋賀県)姫路城(兵庫県)松江城(島根県)備中松山城(岡山県)丸亀城(香川県)伊予松山城(愛媛県)宇和島城(愛媛県)高知城(高知県)

帰ろうと石段を下ると雨が強くなり、足元はかなり厳しい。南口へ這い出すと、そこには児島惟謙像が建っていた。1891年あのニコライ皇太子が負傷した大津事件では、松方正義の圧力を跳ねのけ、大審院長として司法権の政治部門からの独立を守り抜き、「護法の神様」などと高く評価された人物だ。彼も宇和島藩士で幕末の志士だった。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です