山口歴史旅2022(5)門司港を行く

門司側で地上に上がり、少し歩くと海峡沿いに和布刈(めかり)神社があり、何やら人が集まっていたが、何気なく通り過ぎてしまった。実はこの神社の歴史はかなり古く、1800年ほど前、神功皇后が朝鮮征伐に乗り出し、その勝利により創建されたとある。まさに九州最北端の神社である。往時は相当広い敷地であったと想像される。

それからもらった地図を頼りに、海峡沿いを歩き、下関側を眺め、門司関址の碑がある公園を抜ける。ここから電車も走っているようだが、構わずに歩く。ここに和布刈神社の大きな鳥居があったには驚く。そこから町の中心に向かい、古い建物などを巡った。酒屋さん、NTT、門司税関などが続々と現れて楽しい。大連友好会館はその形が美しい。海峡から吹く風が心地よい。商船三井の立派な建物があったが、三井倶楽部は全面工事中で入れなかった。

商船三井ビルの斜め向かいにこじんまりしたビルが建っている。ここがホームリンガー商会。今も船舶代理業務をやっている現役のビル、現役の会社。先ほど藤原義江記念館で『リンガー商会なら何か資料があるかも』と言われたので、思い切って入って聞いてみた。社員の方も突然の訪問に驚いて『ここは観光地ではないので』と言いながら、色々と探してくれたが、結局資料はなかった。観光地ではないのだが、観光地図に載っているため、時々間違えて入ってくる人がいるようだ。

更に歩いて行くと、大連航路上屋があった。関門海峡ミュージアムの隣だ。戦前ここから大連に向かう定期船が出ていた。門司港出征の碑が港と向かい合っていた。そしてその横には出征軍馬の水飲み場もあった。日露戦争から第2次大戦まで、日本全国から集められた馬たちが、ここで最後の水を飲み、戦地に送られ、2度と帰ってこなかったという。その数は100万頭と書かれている。このような歴史はほぼ語られることがないが、全国に出征馬の碑があるのを思い出す。

下関に帰るには、フェリーか鉄道がという選択肢があった。折角なのでJR門司港駅から電車に乗ってみた。この駅舎もなかなか味がある。下関駅までならSuicaも使える。20分に一本出ているので便利だ。門司駅までは博多方面へ行く電車に乗る。かなり長い車両編成で驚く。門司での乗り換えは少し間があく。そして電車はまた何気なく九州から本州へ渡り、下関駅に着く。3駅、280円。下関駅では駅うどんといなりを食べてみたが、味が薄く感じられた。

駅前から閉まってみる店が多い商店街を通り抜け、高杉晋作終焉の地に行ってみた。今は記念碑があるだけ。高杉は27歳でこの世を去っている。何だか引かれるようにそこから坂道を登り、更に丘をダラダラと登っていき、日和山公園までやってきた。ここに建てられている高杉晋作像は何ともでかい。ここからは下関が一望できる。

疲れ果てて宿に戻り、大浴場にゆっくりと浸かる。そして今日もテレビで日本陸上選手権を見る。更にはサッカーキリンカップ、日本対ガーナも観たが、なんだかなという試合だった。そしてまた夜泣きラーメンで一日を終える。

6月11日(土)巌流島へ

本日は雨の予報。傘をさして昨日と違う道を歩いて行く。光明寺という寺が気になり、石段を登ったが門は閉ざされていた。説明によれば『久坂玄瑞が結成した有志隊が寄宿。1863年玄瑞は身分が様々な約50名からなる同士を光明寺に集め「光明寺党」を結成。彼らは海峡を通過する外国船に最初の砲撃を行い、長州藩の攘夷決行の火蓋を切って落とした。後にこの光明寺党は、高杉晋作の結成する奇兵隊の母体となる』とある。何とも重要ではないか。この道は『晋作通り』と名付けられ、胸像も置かれている。

日銀下関支店は近代的な立派な建物だった。その向こうの山口銀行旧本店のレトロな雰囲気とは対照的。そしてこの日銀西部支店(大阪以西の最初の支店)初代支店長があの高橋是清だった。是清を記念するものが最近作られたと聞いたが、それは現在の明治安田生命ビルにあった。ここが元々の日銀だったということだ。是清の数奇な歴史は、常に興味深い。

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