日高・川越日帰り茶旅2022(1)高林謙三を探して日高へ

《日高・川越日帰り茶旅2022》  2022年3月1日

2022年も2か月が過ぎたが、旅には全く出ていなかった。コロナ恐るべし。まん防なる言葉の意味も分からなくなっている。花粉はそれほど飛んでいないのだから、単に寒いから外に出ないというのもある。しかしそれでは体調が悪くなるので、散歩だけは欠かさず続け、スマホの万歩計をインストールして、歩数も図ってみた。

そしていよいよ旅に出る前の練習として、日帰り旅を1回やることにした。場所は埼玉、日高川越。昨年も一度訪ねているが、今回は的を絞っている。あの佐倉順天堂で学んで医師となった高林謙三を探す。

3月1日(火)日高へ

朝8時過ぎ、京王線を新宿とは反対方面の電車に乗る。分倍河原で乗り換え、南武線で立川へ。さすがに通勤時間帯で、乗客は多い。そこから青梅線で拝島へ行き、八高線で高麗川駅まで行く。拝島ハイボール、何と広告を見ると、本当に最近はご当地物の売り込みが多いと感じる。

初めて降りた小さな高麗川駅。確か近くにある高麗神社には行ったことがある。駅の案内板に『製茶機械発明者 高林謙三翁生誕の地 北2.5㎞ 徒歩30分』と書かれているのが何とも嬉しい。

本日の目的は高林謙三の足跡を辿ることだった。取り敢えず生まれ故郷である日高へ来れば何かあるだろう、という程度の軽い気持ちだった。だが駅前にもかなりひっそりと『高林謙三翁生誕の地』という石碑が見付かる。ここで高林はかなりの有名人であることが分かる。

そこから約30分、平沢天神社を目指してフラフラと歩いていく。いい感じの田舎道で、途中に茶畑も少し見られた。天神社の看板を見ながら入ろうとすると、そこでお目当ての『高林謙三生誕之地』と書かれた石碑に出会った。その後ろに申し訳程度に茶樹が一株植えられている。そうか、ここで高林は生まれたのか。天神社にお参りしてから去る。

すぐ近くの住宅の前には、『高林謙三翁 桑田衡平翁 兄弟誕生の碑』という真新しい石碑があった。最近高林謙三を顕彰しようという動きも感じられる。高林の弟桑田衡平も佐倉順天堂に学んで医者となり、地域に貢献した人物だという。貧しい中から優秀な兄弟が生まれている。

そこから駅の方向へ戻ると、古そうな醸造所がある、酒飲みならちょっと寄っていくところだろうが、私には無縁の場所。その先の高麗川を渡ってだいぶん行くと日高市生涯学習センターに辿り着く。そこには実に立派な高林謙三の像が聳え立っていた。これなら地元の人も興味を持つだろう。

そこには図書館も併設されており、そこで高林謙三関連の資料を探し、特許を取得した製茶機械の詳細な内容などを、コピーを取ってもらった。高林がどのような人で、佐倉順天堂とどう繋がり、なぜ医者から茶業者に転身したのか、といった素朴な疑問を解いていく材料が手に入ってよかった。やはり地元にしかない物があるから、やってくるのだ。

何だか急にお腹が減ってしまった。するとセンター近くにかつやというとんかつのチェーン店があったので、思わず初めて入ってしまった。かつ丼セットを注文すると、みそ汁とサラダが付いて、これが安い割に意外とおいしい。所謂コスパが良いのだ。最近のチェーン店の食べ物の質は確実に上がっている(上がっていなければ生き残れない)。だからコロナ禍の要因だけではなく、昔ながらの店が閉店に追い込まれるのかな、と思ったりする。

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