青春18きっぷで行くいわき・山形2021(2)初めての山形市

1時間半ほどで仙台駅に到着した。ここ仙台は私にとっての鬼門。18歳での失敗以降、どうしても足が向かない場所(先月も新幹線で通り過ぎた)。前回この駅で降りたのはちょうど25年前。それも確か乗り換えただけ。そして今回も乗り換えのみ。腹が減ったのでエキナカの駅そばで『鶏唐揚げカレー南蛮』を頂く。何だかいい所取りしているうどんで、しかもご飯が付いており、カレー汁をご飯にかけて食べるという贅沢品。完全に腹が苦しくなるまで食べ続けた。

18きっぷは途中下車自由なので駅の外へ出て少し散歩する。確か伊達政宗像があったなと探したが見つからない。本当に駅の周りを一周したが目ぼしい物もなく、過去の記憶もなく、すぐにホームへ行き、山形行電車に乗る。仙台‐山形が各駅停車で僅か1時間20分というのは今回初めて知る。それほど近い距離、利便性の面から海沿いではない山形市に県庁が置かれたのだろうか。

この辺の地名も読みにくい。秋保温泉はその昔の旅行ガイド試験で覚えたので読めたが、その駅名『愛子』は読めなかった。作並という駅にはニッカウヰスキーの蒸留所の広告が出ていた。面白山高原は何ともおもしろい名前だ。この辺から雪が積もっているのが見える。山寺という駅では思わず降りたくなったが、山寺までの所要時間、後続電車などを調べていなかったので、まずは山形へ向かう。

山形で

山形駅の通路には舞台『マイフェアレディ』の広告が出ていたが、そこに神田沙也加の名前を見て複雑な思いとなる。わずか数日前に命を絶った彼女。生きていればここで公演していた筈だった。駅前の宿へ行くと、新しい建物で非常に対応も良く、かなり気分が晴れた。山形に雪はなかった。それにしても山形駅の裏側は、広々とした敷地、ゆとりの空間が広がっており、心地よかった。

宿に荷物を置き、晴れた山形の町を歩く。宿から駅と並行に行くと、山形城跡があった。今は公園になっているが、本丸跡の公開は冬は行っていない。城跡に山形市郷土館という洋館が建っている。明治初期の偽洋風建築、もとは県立病院だったという。城内には最上義光像が建っている。馬に乗り如何にも戦国武将といった格好だ。関ケ原の戦いの折、会津上杉勢と戦い、その進軍を食い止めたのが最上だった。その功績は大きい。城の堀も深いし、城門も立派だ。

城外へ出ると最上義光歴史館があった。実は最上は連歌に優れ、茶の湯もたしなむ文化人だったので、その歴史と人脈を知りたかったのだが、あいにく休館中だった。この時期観光に来る人などほとんどいなのだろう。歴史館の前に建つ最上義光像は戦国大名ではなく、文人として描かれているのが面白い。

もう少し行くと病院の敷地の脇に『イザベラバード顕彰碑』があった。イザベラバードと言えば、明治初期に日本などを旅した有名なイギリス人女性旅行家だが、1878年にここ山形を訪れ、その発展の様子を著書『日本奥地紀行』に記しているとある。バードは日本各地を歩いたと思われるが、このような顕彰碑を見たのは初めてだった。彼女の著書を読み返してみようか。

山形県郷土館、文翔館に立ち寄る。ここは大正時代に造られたレンガ造りの旧県庁。館内の展示は予想をはるかに上回る充実ぶりで山形の歴史、特に江戸期の物流、明治以降の変遷に興味深い内容があり、満足した。おまけに入場無料だから驚く。山形というところは意外に文化都市なのではないだろうか。

次に出羽国分寺薬師堂へ行く。聖武天皇の命で全国に建てられた国分寺。ここは当時の最北端ではなかろうか。国分寺の場所については諸説あるらしいが、江戸時代にはここ柏山寺に薬師堂が移されていたらしい。芭蕉の記念碑や戊辰戦争の薩摩戦没者の碑などもある。それからちょっと最上川(馬見ヶ崎川)を眺めに行く。

最後に教育資料館を訪ねたが、既に時間が遅く閉まっていた。ここも立派な建物だった。そこからテクテク30分以上かけて駅まで戻ってきた。駅内に平田牧場というとんかつ屋があり、何と6時まではとんかつ定食が660円(通常1210円)で食べられるとのことで、思わず食す。平田牧場も山形の会社、地元のおいしい豚を頂き、至極満足する。夜は大人しく、きれいな部屋で休む。

山形県に宿泊するのはこれが初めてとなる。これで1泊もしたことがない県は、47都道府県中埼玉と香川の2県のみとなる。2022年度中には全県制覇の見通しだ。

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