青春18きっぷで行く京都・福井・金沢・長岡2021(5)青春できない JR廃線を行く

12月17日(金)長岡へ

翌朝、実は3つある朝食の選択肢(近所の市場で朝食など)、私は説明をされなかったので、館内で立派なご飯を食べた。そして電車の時間を見計らってチェックアウトしようとしたが、ここでもまた出来なかった。係員を呼ぶと、何だか宿の偉そうな人が名刺を差し出し、昨日のことを謝ろうとしていたが、私には彼に構っている時間はなかった。振り切るような格好で雨が降る外へ飛び出し、何とかバスを捕まえて駅へ向かった。このホテルチェーン、京都でも同じことがあったが、なぜお客のことを優先(お客の時間に配慮)して考えられないのだろうか。さすがにひどい対応だと言わざるを得ず、久しぶりに憤る。

駅に着いて、今日こそ18きっぷを使おうと思ったが、何と私が向かう富山方面に行くJRは新幹線しかない。窓口で聞くと、『金沢から18きっぷは実質使えない。どうしても使うなら、米原方面に戻り、東京から回るしかない』と言われ唖然とする。確かにきっぷをよく見れば、この路線が使えないことは書かれているが、老眼の私は注意書きをいちいち確認しなかった(還暦は青春できない)。確か8年前はJRで富山を旅したのだが、その後新幹線開通と共に、第三セクターに移行していたのだ。

仕方なく、切符を購入して(切符も途中の市振までしか買えない)IRいしかわ鉄道に乗る。行き先は泊。あの懐かしいバタバタ茶の町だった。高岡、富山と過ぎていき、途中からあいの風とやま線に入る。終点泊駅まで約2時間、そして直江津行ときめきえちごライン(名前が今風)への乗り換え時間20分。この駅は2番ホームに金沢行と直江津行が同居している。

直江津までは1時間ちょっと。その間、日本海を眺め、山を眺めて過ごす。確か筒石というトンネル内に駅があったが、今回は気が緩んでいる間に通り過ぎた。直江津までは新幹線を避けて各駅停車の旅をしたが、18きっぷを使えないのだから、ダラダラ鈍行に乗る必要性はなく、直江津から長岡は特急に乗った。途中雨が強くなり、日本海は全く見えなくなった。

長岡で

今回長岡に来たのは、一度も来たことがなかったという理由だけだった。ただ長岡と言えば二人の英雄がいるので、行けば何かあるだろうという程度のノリだった。駅にある観光案内所に立ち寄り、『河井継之助と山本五十六記念館に行きたい』と告げると、何と電話を掛けて予約を取ってくれた。これもコロナの影響だろうか。そして地図をくれて、親切に色々と教えてくれた。

取り敢えず予約した宿に向かった。駅前は冬の対策か、雨に濡れないようにアーケードなどがある。それに沿って歩いて行ったが、乗るエレベーターを間違えてしまい、変な所へ出た。何と市役所だった。そこで宿の場所を尋ねると、係の女性がわざわざ私を正しいエレベーターまで誘導してくれた。長岡の人は親切だ。

宿に荷物を置いて、早々に出掛ける。まずか河井継之助記念館へ。小雨が降る中、徒歩10分で到着する。ちょうど団体の見学が終わったところでよかった。この記念館は、河井継之助邸跡に建てられているらしい。河井と言えば、幕末幕府側として戦った長岡藩のリーダーであり、郷里の英雄。

だが明治初期は、長岡をどん底に落とした男として恨まれていたらしい。それを司馬遼太郎が『峠』で、その崇高な精神を褒め称えたことから、今では英雄扱いになっている。来年また映画化されるらしい。1階と2階に展示があり、戊辰戦争までの経緯や、如何に戦ったかが、詳細に説明されている。

だが興味を惹いたのは戦死した継之助ではなく、生き残った妻(すが)だった。名前からして興味を持つが(西郷隆盛の最初の妻もすが)、彼女の実家は梛野家だったことだ。そして彼女はどうなってしまったのか?取り敢えず、写真撮影が許されている継之助像を撮って退散した。

そこから5分ほど歩くと、今度は連合司令長官山本五十六の記念館がある。こちらも、戦死した際搭乗していた機体の一部など、五十六関連の展示品が多くあった。だが私が興味を持ったのは、藤原銀次郎からもらったという茶道具。学芸員の方に尋ねてみたが、五十六が茶人として有名だったとの話はないとのことだった。そしてここでも五十六の知人に梛野という人物が出てきた。近所に山本五十六の生家跡が公園になっており、庭に像があった。

暗くなり始めたので、宿に戻る。腹が減ったので外へ出たが、雨模様だったので、駅のところでチャーシューメンを食べて退散した。宿は函館で泊ってよかったチェーンを使ってみたが、函館ほど快適ではなかった。それでもゆったりと湯に浸かれるのは、この寒さでは有難い。

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