青春18きっぷで行く京都・福井・金沢・長岡2021(3)福井 一乗谷と北の庄

12月15日(水)福井へ

朝ご飯は昨日より格段に良かった。やはり昨日の宿が特殊だったようだ。ゆっくり食べてバスに乗り、京都駅へ。ホームまで行くと敦賀行新快速は遅れていた。向かいの特急も来ていない。まあ急ぐ旅でもない。本当は今日も18きっぷを使いたかったが、各停料金と18きっぷ1日分がほぼ同額なので、ここは温存してSuicaで行く。

敦賀までは琵琶湖畔を走るのだが、徐々に風景が寂しくなっていく。湖西と湖東が近江今津駅でドッキングしてすぐに敦賀となる。だが新快速が遅れており、敦賀から福井行への乗り継ぎが不安になる。車掌に聞いても、さあ間に合いますかな?とつれない返事。1時間半以上掛かって敦賀駅まで行くと何とか福井行に間に合い、また揺られていく。

福井までは1時間弱。途中の駅名がユニークになってくる。眼鏡で有名な鯖江は別として、王子保、大土呂、越前花堂など、何と読んでよいかもわからない。福井駅に到着すると、駅前には松尾伝蔵の胸像と岡田啓介像があった。岡田は首相になった人物だが、松尾はその義弟で、首相秘書官となり、何と二二六事件に際して、岡田と間違われて命を落とした人物だった。

駅前の観光協会に寄って地図をもらう。ついでに一乗谷と永平寺への行き方を聞いた。すると『今日と明日、永平寺はお休みです』というではないか。テーマパークではない、寺がお休み?何と官長が亡くなり、その葬儀が取り行われるため、拝観停止なのだという。隣に座っていたおじさんが思わず、『何と運のない』とつぶやき、皆で笑う。確かに葬儀はそうそうあるものではなく、こんな時に来るとは我ながらすごいと思う。

取り敢えず予約した宿に荷物を置いて、また観光協会に戻る。一乗谷行バスチケットが安く買えるという。駅の反対側から出るのでそちらへ行くと、観光協会の人が追いかけてきて、バスの降りる場所についてアドバイスをくれた。何とも素晴らしいサービスだ。バスまで少し時間があり、駅をうろつくと駅そばがあり、思わず入って食べてしまった。越前はやはり蕎麦だな。

バスは永平寺まで行くらしく、お坊さんが二人乗っていた。あとは観光客数人。30分ほど乗っていると資料館が見えてきたが、現在改修中なのでここで降りないで先へ進め、というのが先ほどのアドバイス。確かにそこから2㎞以上行ったところに一乗谷の見学入り口があった。

一乗谷は朝倉氏の居城として名は知られているが、実は最近発掘調査が行われ、概要が明らかになったという。この間NHKのブラタモリでもやっていたので、興味が沸く。山に囲まれた狭い谷、そこに朝倉氏の屋敷があり、家臣の住居がある。一乗谷滅亡後、埋もれていたものを最近掘り出して、一部が復元されている。

橋を渡って向こう側へ行くと、朝倉氏遺構がある。朝倉義景が暮らした館跡、墓もある。少し上に上がると、庭園跡がある。ここからの眺めは良かっただろう。雨が降り出して足場が悪いので、その上には行かなかったが、横に歩いてみても、それなりの広さがある。ここに明智光秀も度々来たのだろうか。更に歩くと、いくつかの館跡、初代の墓なども見られた。

雨が強くなり、それ以上歩くのは止めて、バスが来るのを待ち、大人しく駅まで戻る。一乗谷の概要は何となくわかったが、やはり解説がないと全体像は分かり難い。ブラタモリを思い出しながらの散歩となった。恐らく博物館が完成すると、そこで掴めるようになるのだろう。

駅へ戻ると雨は上がっており、また歩き始めた。折角なので、一乗谷の後、北の庄へ向かう。ここは柴田勝家の居城で、秀吉に敗れてお市の方と共に散った場所だ。駅からそう遠くはない場所に、柴田神社があった。何とそこには『お市さん モテ祈願』などと書かれていて驚く。更に娘三姉妹の像まである。どうなっているんだ、この神社?

反対側に回ると北の庄跡があり、ようやく柴田勝家像にご対面できる。今や石垣の一部などしか残っておらず、どの程度の規模の城であったかを知ることも難しい。扱いは柴田公園であった。実は時代劇では有名だが、北の庄についてはよくわかっていないらしい。更に先日東京で家の近所を散歩していたら、何と勝家の孫の墓があって驚いた。柴田家は滅亡しておらず、北の庄から落ち延びた孫が家康に認められて、江戸時代を生き延びたらしい。

そこから歩いていくと、グリフィス記念館という洒落た建物があった。外国人教師の洋館であり、中も見学できる。足羽川を渡ると、左内町に入る。越前藩と言えば、やはり橋本左内だろう。近くの公園内に墓所があり、立派な像が立っている。安政の大獄で犠牲にならなければ、もっと名を知られたであろう、活躍したであろう左内。さすがに地元での評価は高い。

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